2022-12-11
福岡弁 ~あなたの知らない福岡弁~
- ※本内容は、掲載内容の充実の為に告知なく加筆修正する場合があります。
- ※本内容は、筆者である私自信が他所に設置のブログより転載した記事です(つまりどちらも私が書いた記事です)。
はじめに
最近、インターネット上で博多弁を福岡弁
と称した言葉を度々見掛け、一体いつ頃からその様に言われ始めたのかと疑問になり検索サイトで検索し調べてみたところ、1999年前後(ツイッターでは2007年以降、アメブロでは芸能人2006年末/一般2016年)から、博多弁を福岡弁
だと言い換えたり、福岡県内の方言を一括りにして福岡弁
と呼ぶ等の勘違いが見受けられ、そうした誤った情報は今もなお新たに発信され拡散し次第に増加傾向にある様です。
昨今のこの福岡弁
と称する言葉は、歴とした『福岡弁』という方言が存在する事を知らない人による誤用であり、本来の『福岡弁』とは全く別物で無関係なのです。
また、現在放送中のNHKの朝ドラ「おむすび」('24年9月30日送開始)のOPテロップにて「福岡ことば指導」とありますが、指導者の方言は”福岡ことば”ではなく”博多ことば”です。福岡ことばとは福岡弁の事でもあり、間違いなのです。
大袈裟かも知れませんが、世間では今まさに福岡弁
や福岡ことば
と誤用して元々存在する『福岡弁』の固有名詞の乗っ取り行為(文化盗用)、排除・排斥に等しい愚行が現在進行中ですが、本来の『福岡弁』は話者が元々少ないらしく(私も話者のひとり)、話者の高齢化や人口流入等も相まって話者は減り続けており、存在自体を知る人も少なくなっています。ですから勘違いや間違えを指摘できる人も数が知れており、昨今の福岡弁
という誤用が野放し状態で浸透しつつある由々しき事態を招いています。
逆に、最低でも20年程もの間自身が喋る「博多弁」などの福岡県の方言を福岡弁
だと勘違いしている人も居る訳ですから、近い将来「親が福岡弁だし自分も福岡弁だ!」などと思い違いをしたジュニア世代が現れてもおかしくはありません。否や、もう既に存在するのかも知れません。
本来の『福岡弁』を知る誰かがまともな情報を記すなどして残さなければ、そのうち『福岡弁』が遠い昔の歴史遺産ならまだしも、誤用された福岡弁
の意味や使い方が広まれば、『福岡弁』の存在を知る人(話者)が声を挙げなければ、存在を認識してもらえずに元々存在しなかったものとしてこの世から消し去られそうにも感じます。これは決して被害妄想ではありません。固有名詞という言葉の意味が分からない方は、先ずは固有名詞の意味をお調べ下さい。
私自身は、幼い頃より両祖父母や祖父母の兄弟姉妹や曾祖母、またその友人等の本当の『福岡弁』の会話を聞いて育ち、私自身も喋り、それがごく当たり前の日常だったので、祖父母たちが夜空のお星様となった今でも大切な思い出と共に言葉も記憶しています。勿論、私自身も福岡弁話者の端くれなので、『福岡弁』の存亡の危機を感じてこの記事を書くに至りました。
私が記すこの記事により、ひとりでも多くの方に本当の『福岡弁』を知って頂く機会になれば幸いです。もしかすると、貴方が福岡に縁があり貴方が記憶している貴方自身の御両親や御祖父母、御曾祖母に高祖父母(概ね戦前以前までの生まれの方)が話している(いた)言葉遣いが博多弁ではなく福岡弁だったとか、貴方自身の方言も博多弁ではなく福岡弁だったという大きな発見もあるかも知れません。時代の経過により『福岡弁』を博多弁だと勘違いしている方も少なからず存在するみたいです。
注釈
- 関連記事:福岡弁と言う人のほぼ全員が間違えてること
福博予備知識
福岡弁と博多弁の違いを知る上では欠かせない福博(福岡と博多)の歴史についてです。
福岡城下と博多の町
江戸時代の福岡と博多はそれぞれ堀や壁で囲まれ完全に独立した”双子都市”でした。基本的には、福岡は武士の町で博多は商人の町
と言われています。一応、福岡城下にも博多を参考にした六町筋(商人町)が築かれ町人も暮らしていましたし、周辺郡部に居住する藩士も居ました。
明治になると、福岡の町は多くの武家屋敷が主を失い廃墟となりスラム街と化しました。上級武士は医師や弁護士となり福岡を去り、他県で政治家になった者(勿論福岡で議員になった者も居る)、また相場で失敗して家屋を売却して田舎で隠居暮らしをする者たちもいたそうです。主を失った武家屋敷跡は取り壊され、そこに県庁や市役所などの官公庁が設けられ官庁街になると、そこから福岡市は近代化への歩みを始めます。
明治になり、旧福岡城下の町を『福岡部』、博多の町を『博多部』と呼び、明治9年(1876年)に双方併せて『福博』、更に明治11年(1878年)に「福岡区」(筑前國福岡區)なると、明治22年3月には双方を隔てた高さ10mの福岡城の城門「桝形門」の撤去が完了し、福岡と博多の町の景色は一変します。「博多市」か「福岡市」かで大いに揉め羽陽曲折の末に明治22年(1889年)4月1日「市制施行」に伴い春吉・堅粕・犬飼各村の一部(現在の博多駅周辺。また中洲[なかず]は春吉に属していた)が統合されて「福岡市」が発足し、その後更に近隣地域の編入統合を繰り返して福岡市は現在に至ります。
余談になりますが、現在人口162万人(面積343平方キロ米)を超える福岡市ですが、昔の人口を参考までに──。江戸初期の元禄3年(1630年)福岡15,009人(武士1.5万人を除く)/博多19,468人(筑前風土記)、江戸末期の文化9年(1812年)で福岡城下約7.4千人/博多1.5万人弱。明治初年時点で福岡部は5万人(士族は約1.8万人)/博多部2.5万人、明治22年の市制施行当時で福岡部2万人/博多部2.5万人(面積5.09平方キロ米)、明治43年に8万人。大正時代に徐々に周辺町村を編入し始めて大正14年に14万人強。戦前の昭和15年に30万人強。昭和30年(1955年)に50万人到達。昭和50年(1975年)に100万人到達。平成元年(1989年)で121万人。令和2年(2020年)5月に160万人を突破──。
注釈
明治維新後の『廃藩置県』の施行により、江戸期に黒田家が統治した福岡藩と秋月藩は福岡県(旧福岡県)になりました。豊前国で他藩だった今の北九州や筑豊、筑後の各地区が福岡県に統合されたのはその後の事です。ですから、現在の福岡県内の方言を一括りにして福岡弁と呼ぶのはそもそも間違いなのです。
福岡弁と博多弁
前述の様に、福岡と博多は元々完全に独立した町でしたので双方で方言も異なり、福岡城下(福岡部)では『福岡弁』が、博多(博多部)では『博多弁』が使われていました。
『福岡弁』は特徴ある言葉遣いから「がっしゃい言葉」また「福岡言葉」や「福岡訛」などと呼ばれる事もありますが、全て同じ意味で『福岡弁』の事を指します。昔は、福岡弁(福岡辨)の事を「福岡ことば」、博多弁(博多辨)の事を「博多ことば」とも呼んでいました(※漢字の旧字と新字、また平仮名表記も同じ意味です)。
『福岡弁』も『博多弁』もそれ自身を指す固有名詞なので、福岡弁は福岡弁、博多弁は博多弁に他ならず、それ以外の意味合いで「福岡弁」や「博多弁」と言うのは間違えです。
例えば、アジア圏内の国々の言語を総称して日本語なんて呼びませんよね?日本語は日本語です。それと同じ事です。福岡県内の方言を総称して福岡弁と呼ぶのは間違えですし、福岡弁の存在を無視し話者を愚弄する行為なのです。
余談になりますが、一言で福岡弁と言っても、時代劇で武士が使う様な「某」「貴公」などと言った言葉遣いから、一般的な方言と同じ様な日常遣いの言葉遣いがあります。また、下級武士から上級武士までおり居住地域でも言葉遣いに多少の違いはあったようです。これは博多弁でも居住地域や世代により言葉遣いに多少の違がある事と同じ事です。
ところで、福岡県民であっても福岡なのに何故(”福岡弁”ではなく)”博多弁”なの?
と疑問をお持ちの方も多いと思いますが理由は簡単です。明治以降の福岡市や周辺地域には、誰もが馴染み易い博多弁が広く浸透し、武家言葉で堅苦しい福岡弁は一部の旧家でしか使われなくなり、博多弁が一般的になったからです。ですから、福岡なのに博多弁という訳なのです。
福岡弁の話者は、福岡市内のみならず市外の広い範囲に散らばっています。先の大戦での大空襲の影響もあるでしょうし、藩士や陪臣(家臣の家臣)は周辺郡部にも居住しており、また福岡城や藩士の屋敷に出入りしていた仕様人や商家などもあり、近世後に周辺のベッドタウンに転居した子孫等もいます。然しながら、話者の高齢化や旧藩士の子孫であっても世代を経て福岡弁の継承が途絶え博多弁を喋っている事もある様です。一方の博多弁は伝統芸能・博多仁和加によって伝統的な博多弁が受け継がれ続けています。
福岡弁の話者の人口は、今では福岡市の人口の1%も存在しないのかも知れません。然しながら、福岡弁は調査研究や保存活動などが公的に何もされてはおらず、博多弁の存在感が際立ち、昨今の人口流入の激しさも相まって福岡弁は存在そのものすらも忘れ去られつつあります。
福岡弁と博多弁の違い
『福岡弁』は武家言葉らしく敬語表現が豊富で丁寧な言葉遣いが基本なので堅苦しく、『博多弁』は親しみ易い町人言葉らしく対等な立場でざっくばらんな言葉遣いが特徴です。博多弁にも敬語表現はありますが、多くは福岡弁由来の言葉で博多弁には無い表現が後に一部が博多弁化して使用されています。また、福岡弁は、福岡藩藩主黒田公や譜代家臣たちの先祖ゆかりの地である山陽山陰地方の方言の影響(「つかあさい」を使うのは九州では福岡弁のみ)や、長崎(長崎警衛の影響なのか?)や江戸(将軍様の御膝元)などの方言の影響もある様です。
次に、博多弁と福岡弁の違いが分かる様な言葉を幾つか簡単にご紹介します。
- 共通語「~だよ」=博多弁「~ばい」(粗略な時「~べー」)=福岡弁「~ぜー」
- 共通語「~してみなさい」=博多弁「~してきんしゃい」=福岡弁「~してがっしゃい」
- 共通語「何してるの?」=博多弁「なんしようと?」=福岡弁「何しよんなさあな」「何し御座アな」「何してがっしゃるナ」
- 共通語「しておられる」=博多弁「しよんしゃあ」=福岡弁「してがっしゃる」や「さっしゃる」「しよんなさる」「して御座ル」
- 共通語「好きです」=博多弁「好いとー」=福岡弁「好いて御座ス」
- 共通語「良いじゃないか」=博多弁「よかろうもん」=福岡弁「良(よ)御座っしょう(もん)」
- 共通語「いらっしゃった」=博多弁「きんしゃった」=福岡弁「来がっしゃった」
- 共通語「来なさい」=博多弁「きんしゃい」「きてんなざい」「きちゃんない」=福岡弁「来てがっしゃい」「おいでない」
- 共通語「居られますか?」=博多弁「おんなざるな」=福岡弁「がっしゃるな」
- 共通語「お上がりなさい」=博多弁「上がりんしゃい」=福岡弁「お上(あ)がんない」
- 共通語「食べなさい」=博多弁「食べやい」=福岡弁「お食べない」
- 共通語「飲みなさい」=博多弁「飲みんしゃい」=福岡弁「飲みがっしゃい」
- 共通語「寝なさい」=博多弁「寝らんね」=福岡弁「寝ない」
- 共通語「教えて下さい」=博多弁「教えてつかあざっせい」や「教えてくんしゃい」=福岡弁「教えて遣あさい」「教えて御座っしゃい」
- 共通語「美味しい」(粗暴な言葉「うまい」)=博多弁「うまかー」=福岡弁「美味しさあ」
- 共通語「早いね!」=博多弁「はやかー!」=福岡弁「早(はや)さあ」
- 共通語「失敗した!」=博多弁「あいたー」=福岡弁「けーしもうた」
- 共通語「けれども」=博多弁「ばってん」=福岡弁「ばって」
- ・・・等々。
※昔は言葉の語尾に博多弁では「べー」を、福岡弁では「ぜー」を使うのが特徴だったそうです(明治期発行の福岡市史に記されています)。現在では博多弁の「ばい」を粗略に言う時の「べー」は廃れており、今では使う人は高齢者でも極稀でしょうし、悲しい事に肥筑方言で共通の特徴である終助詞「ばい」「たい」自体も若年層では既に廃れつつある様です。
※博多弁の言葉を福岡弁で使わない訳ではありませんし、逆も然りです。然しながら、博多弁「べー」福岡弁「ぜー」の様な明確な違いが昔はあった様です。所謂、福岡言葉、博多言葉とも呼ばれています。
※それぞれの言葉は一例で他の言い方もあります。
備考
- 福岡城下
- 福岡部(旧福岡城下)。旧筑前国那珂郡警固村福崎→福岡。福岡部は堀より北の外郭内、城下は東は那珂川から西は今川橋が架かる樋井川まで(築城当初の西端は黒門川まで)で、概ね旧薬院川(通称・泥川。昭和23年に福岡市で開催された第3回国民体育大会に併せて埋立て整備された事で国体道路という愛称で呼ばれる。)より北側及びその周辺地域。現在の福岡市中央区の北側半分程の範囲。
- 博多
- 博多部(博多旧市街)。旧筑前国那珂郡に属する。東は石堂川(御笠川)から西は博多川(那珂川)までで、南端は現在の祇園町の萬行寺辺りまでの地域。博多小学校(旧冷泉・旧奈良屋・旧御供所・旧大浜小学校)と博多中学校(旧博多一中・旧博多二中)が校区。現在は、対岸の千代と中洲を含めた地域と「流」を構成し「博多祇園山笠」等の伝統行事が受け継がれている。本来の意味(狭義)では、現在のJR博多駅(旧下比恵)周辺などは「博多」には含まれない。
- 福岡藩の家臣団
- 黒田孝高(官兵衛/如水)公の親族を「一門」、播磨以来の家臣を「大譜代」、豊前中津以来の家臣を「古譜代」、筑前入国からの家臣を「新参」と言う。
福岡弁語録
- 語録の見方
- 福岡弁の言葉
- 意味
- 活用形や変化など
- 例文
- 備考
- がっしゃい
- いらっしゃる。ございます。御覧なさい。等の意味で使う尊敬語。語源は「御座る」+「為さい」=「御座らっしゃい」に由来。
- 「がっしゃい/がっしゃる/がっしゃらん/がっしゃれん/がっしゃあ/がっしゃった/がっしゃろう]→其々[下さい/居る・来る/来ない(否定形)/居ない(否定形)/(同義、又は疑問)/完了/未然/]の尊敬語の意味や活用形で使う。
- 例)寄ッてがっしゃい(寄って御覧なさい)。来てがっしゃい(来て御覧なさい)。何してがっしゃあナ(何をしておられるのですか)。何処イ行きがっしゃあナ(何処に行かれますか)。如何してがっしゃるナ(どうしておられますか)。如何しがっしゃあナ(どうなさいますか)。来がっしゃる(おいでになる)。がっしゃいや(おいでなさい)。がっしゃるな(居なさるか)。がっしゃらにゃ(なさらねば)。
- 「がっしゃい言葉」や「がっしゃる言葉」などと呼ばれている福岡弁特有の言葉遣いです。実際の会話では「がっしゃい」よりも「がっしゃあ(ー)」と言っていた事が多かったと思います。後記の御座ル言葉に置き換え出来ます。子供の頃から「がっしゃあ」はよく使う言葉なのですが、これが「がっしゃい言葉」だと知ったのは最近になってからの事で、福岡弁ではなく博多弁を話しているつもりの時でも無意識のうちに「しがっしゃあと?」と出ると、今では自分でも「ハッ!?」とすることがあります。「がっしゃい」は、出雲弁・山県弁・長岡弁(新潟県)・群馬県の方言でも使われている様ですが、「がっしゃあ」などの使い方をするのは福岡弁独特の様です。
- ござる(御座ル)
- 「居る」の尊敬語として「いらっしゃる」の意味。また「ございます」の意味でも用いる。
- 「ござる/ござあ/ござらん/ござれん/ござっしょう/ござっせん/ござった/ござって/ござろう/ござす」→其々[居る/同義・疑問/否定/否定/推定/否定/完了/完了/未然/完了] 。
- 例)田中ざんナ天神さい行ッテ御座ル(田中さんは天神に行っておられる)。して御座ア(しておられる)。し御座ア(なされる)。来御座ア(おいでになる)。来て御座ア(お見えになってある)。帰り御座ア(お帰りになる)。帰ッて御座ア(帰宅してある)。良御座ア(よろしいです)。良御座ッしょう(よろしいでしょう)。
- 「御座ル」は時代劇でもお馴染みの江戸時代まで使われた言葉。福岡弁では今でも使い、武家言葉の福岡弁の基本中の基本となる言葉です。変化や活用形が全て同じとは限りませんが、他県の方言(岐阜弁など)でも武家言葉の方言では今でも使われている事もある様です。がっしゃい言葉の時も同様に、例えば接続詞が「し」の時と「して」の時とでは意味合いが全く異なる。
- ござっしゃる(御座ッしゃる)
- 「御座る」よりも丁寧な言葉。使い方は御座るに同じ。
- 「ござっしゃる/ござっしゃあ/ござっしゃらん/ござっしゃれん/ござっしゃい」
- ごろうじゃい(御覧ぢゃい)
- 「見る」の謙譲語で「御覧ぜよ」に由来し「ごらんなさい」の意味。
- 例)手ば出して御覧ぢゃい(手を出してごらんなさい)。
- ごじゃい
- みなさい、ごらんなさい、ごらんください、などの意味。
- 例)ちょッと待ってごぢゃい(ちょっと待ってください)。
- つかあさい(遣アさい)
- 「つかあさい/つかありゃれ」
- 「~(して)下さい」の意味で使う尊敬語。古語の「被遣(つかはされ)」に由来。
- 例)教えてつ遣アさい(教えて下さい)。来て遣アさい(来て下さい)。食べて遣アさい(食べて下さい)。しゃんしゃんば遣アさい(お嬢さんを下さい)。醤油ば二百銅がと遣りゃれ。
- まっせん
- 「申す/参らす」に由来する「ます」の否定。「~ません」の意味で使う丁寧語。
- 例)すんまっせん(すみません)。分かりまっせん(わかりません)。御座いまっせん(ございません)。いりまっせん(いりません)。
- 私が幼い頃にTV番組(何の番組だったかは忘却…徹子の部屋だったか?違ったかな)で耳にした福岡弁話者で俳優の故・下川辰平氏の福岡弁は「まっせん/まっしょう」は”まっ”にアクセントがある角ばった勇ましい雰囲気の言葉遣いだった記憶があります。一方、下川氏よりも年上の我が母方祖母は「まっせん/まっしょう」のアクセントは特に感じられず柔らかい雰囲気でした。母曰く、母の両祖母も母の母(私の祖母)に似た言葉遣いだったそうです。
- まっしょう
- 「申す/参らす」に由来する「ます」の未然形。「~ましょう」「~でしょう」の意味で使う丁寧語。
- 例)行きまっしょう(行きましょう)。良御座いまっしょう(よろしいでしょう)。御座いまっしょう(でありましょう)
- 博多弁では「行く」ことを「来る」と言いますが、福岡弁では「行く」と「来る」は区別します。ですから行くことを「来まっしょう」とは言いません。御座る等も同様。
- まっせー
- 「申す/参らす」に由来する言葉。「~ませ」の意味で使う丁寧語。
- 例)御寄んなさいまっせー(お寄りなさいませ)
- ~ない
- 丁寧な命令。「~なさい(為さい)」の意味。
- 例)おいでない(おいでなさい。いらっしゃいの意)。おあがんない(お上がりなさい)。お食べない(お食べなさい)。きない(来なさい)。しない(しなさい)。見てんない(見てごらんなさい)。寝ない(寝なさい)。椅子にお掛けない(椅子にお掛けなさい)。
- ~ならんな
- 丁寧な命令。「~なさらぬか」の意味。
- 例)おいでならんな(おいでになりませんか?)。
- ~さっしゃる
- 「しなさる」の意味で使う尊敬語。
- 「さっしゃる/さっしゃあ/さっしゃらん/さっしゃれん/さっしゃろう」
- 例)心配さっしゃる(心配しなさる)。
- ~なさる
- 「~なさる」「いらっしゃる」の意味で使う尊敬語。
- 「なさる/なさあ/なさらん/なされん/なさろう」
- 例)行きなさる(お行きになる)。来なさる(お越しになる)。来とんなさる(来ておられる)。おんなさる(居なさる)。如何しよんなさる(どうしていらっしゃる)。しなんな(しなさるな)。
- 私が幼い頃は「粋な猿~(行きなさる)。女猿~(おんなさる)。ウッキッキー!」と言いじゃれていた記憶が…笑。「おんなざる」の様に濁音だと博多弁になる事から、博多弁で使われる「なざい」系も元は福岡弁の様だ。
- ~さる
- 「~なさいます」の意味で使う尊敬語。「~なさる」より軽い。
- ~なす
- 「~なさいます」の意味で使う尊敬語。「~なさる」より軽い。
- 「なす/なすな[否定]」
- ~なる
- 「~なさる」「いらっしゃる」の意味で使う尊敬語。「~なさる」より軽い。
- 「なる/なあ/ならん/なれん/なった/なろう」
- 例)行きなる。来なる。見なる。おんなる(いらっしゃる)。おんならん(いらっしゃらない)。知っとんなあ(知っておられる)。行きなった。
- ~らす
- 「~しておられる」の意味で使う尊敬語だが敬意は低め(第三者に対して使う)。古語の「る」「らる」に由来する。
- 「らす/らしか/らした」
- 例)しよらす(しておられる)。来よらす(向かって来ておられる)。言いよらす(言っておられる)。言いよらした(言っておられた)。
- 長崎や熊本の方言でも使われている様です。
- ~めい
- 打消しの推量。「~ではないであろう」「~しないだろう」の意味。
- 例)ありめい(あるまい)。見えめい(見えまい)。聞こえめい(聞こえまい)。いいめい(言うまい)。されめい。なりめい。知りめい。でけめい。つまりめい。来めい。
- 打消しの推量「まい」と同じ用法で江戸言葉でも使われる助動詞。博多弁で使われている「いかんめい」の様な「~んめい」の言葉は誤用が博多弁化。
- ~ござりめい(御座リめい)
- 「~めい」よりも丁寧な言葉。「御座る」と組み合わさった言葉。
- ぜ
- 終助詞。江戸言葉の「ぜ」と同じ用法で「~よ/~だよ」ぐらいの意味の男言葉。
- 行くぜー。遊ぼうぜー。そげんぜー(そうだよ)。よかぜー(いいよ)。
- 元々は終助詞「ぞ」に「え」を加えた「ぞえ」から「ぜヱ」更に転訛した言葉。江戸時代から使われ続け、'70~'80年代辺り子供の間で「~とぜ」→「~っちぇ」「~っつぇ」、「~とぞ」→「~っつぉ」と変化。
- ぞ
- 終助詞。語尾に接続して念を押す。男言葉。
- じゃ
- 断定の助動詞。古語に由来。大正末期生まれを境に「や」と転訛か?
- ばって(雖)
- 逆接「けれども」(でも)を表す言葉で「のに/けれども/だけども」の意味で用いる。古語の「ば・とて」に由来し、「雖も(いえども)」は漢文の訓読に由来する。博多弁の「ばってん」と違い「ん」抜きで用いる。
- 「ばって/ばっても/ばってが/ばってー」
- のって(故)
- 「~によって/で/だけど」の意味。
- 例)今日も暑いのって、熱中症にお気をつけて。
- けに(故)
- けん(故)
- 順接の接続助詞。「~(だ)から」の意味。古語の「故(け)」→「故(け)に」に由来。古くは「けに」と言う。「のって」に変わり大正末期頃には「じゃけん」、昭和戦後に「やけん」へと変化した様である。
- 「~故/~じゃ故(けん)」
- 例)ある故なぁ(あるからねぇ)。
- ごと(如)
- 「ように」の意味。古語の助動詞「ごとし」の連用形「ごとく」に由来。
- 「ごと/ごたあ/ごとある(ごたる)/ごとあった(ごたった)」
- ~げん
- 「~の様に」の意味。
- 「あげん(彼様)/こげん(此様)/そげん(左様)/どげん(如何)」→「あの様に/この様に/その様に/どの様に」の意味。
- ~げな
- 「~の様な」の意味。
- 「あげな(彼様な)/こげな(此様な)/そげな(左様な)/どげな(如何な)」→「あんな/こんな/そんな/どんな」の意味。
- ぎったい
- 助動詞。「~ときは」「~ならば」の意味。「ぎんにゃ/ぎんたい/げんたい」とも言う。
- 例)来たぎったい(来た時は)。
- そろ(候)
- 丁寧の補助動詞「候」は、室町時代以前は口語で用いられ、鎌倉時代から昭和初期頃までは文語で信書に用いられた言葉。候文の音読では「候」を”そろ”(そぉろ)と発音する。昔、今は亡き祖父(父方)に教えてもらった言葉。侍言葉といえば、「御座候」の様な言葉遣いだと思っている人も多いだろうが、候文(文語)で使い普段の日常会話(口語)で使用される事はない。文語と口語の違いから、明治期には言文一致運動が起こったのだとか。
- とい
- 逆接の接続助詞。「~のに」の意味。
- 例)あったとい(あったのに)。
- げな
- 伝聞の助動詞。「そうだ」「らしい」の意味。
- せん
- 否定を表し、「~しない」の意味。古語の「~せぬ」が由来。
- けー
- 感嘆詞。「嗚呼」や「えー」などと同様の意味。また強調。
- 例)けーしもうた(あーしくじった)。けー凄さあ(おー凄いね)。けーきょろっとする(動揺隠し平気を装う)。
- 使う際には「けぇ」と母音を2~3拍程伸ばして使う。衝撃が強い時は「けー」と尾を引き、軽い時は「けい」と短くという感じである。
- さあ
- サ詠嘆形。語尾に接続して詠嘆を表現する。
- 人の多さあ。花の綺麗さあ。美味しさあ。おかしさあ。
- おかしさあ
- 「おかしい」の意味。嘲笑う時に使う女言葉。
- 何ねあんたそんな格好ばしておあかしさあ(何よあなたその可笑しな格好は)。
- 「~さあ」は形容詞の「サ詠嘆形」
- さあ
- 間投助詞。江戸言葉の「さぁ」と同じ用法で「~よ/~だ/~ね」ぐらいの意味の男言葉。「くさ」に近い用法だが互換ではない。
- 私が高校に進学して直ぐに、福岡弁の「ぜー」と「さあ」の語尾は、福岡県内の他の方言を使うクラスメイトやヤンキーに”生意気”だとか女子には”キザ”だとか面と向かって言われた経験があります。勿論方言なので生意気ぶったりキザを意識して使ってはいません。今でも自然と「ぜー」や「さあ」と言う語尾が出る為、弟に親父の喋り方にソックリだと笑われます。
- 例)それでさあ。~やけんさあ。~ばってがさあ。
- ばい
- 終助詞。「~よ/~だよ」の意味。肥筑方言共通の特徴。
- たい
- 終助詞。「~よ/~だよ」の意味で語意を強める。肥筑方言共通の特徴。
- 例)良御座スたい。
- くさ
- 間投助詞。「~ね」の意味で語尾を強調する。肥筑方言の中でも筑前方言で使われる。
- 例)良御座スくさ。
- のる
- 「しないでいる(せずにおる)」の意味。詳しい方に聞いた話しでは、「せずにおる」の”に(ni)お(o)”が音便変化でiが欠落して「のる」になったらしい。
- 例)あげなこといならんのる。やおいかんのるげなばい。まぁーだ帰いって来んのるか。
- 横んなる
- 休憩するの意味。
- ざん
- 敬称。名前に付ける「さん」と同様の意味。「ざん」が訛り祖父は「づぁん」と発音していたと記憶。
- 例)木下ざん。
- とんとん
- お坊ちゃん
- しゃんしゃん
- お嬢ちゃん
- 豈図らんや(あにはからんや)
- 意外にも、(意図せずに)どうしたことだ。「ふてぇがっていな」の理屈っぽい言い方。
- 例)然るに豈はからんやである(ところが全く予想もしていなかったのである)。
- 明明治維新後、旧士族の兄弟が「ときに貴公、買うのかね?」などと不慣れな商売をしている姿を見た博多の者は「兄量らんや、弟醤油売り」と茶化したそうな。
- 横道者(おうどうもん)
- 横着者、乱暴者
- 「博多ん者(も)んなー横道者(おーろーもん)青竹割ってへこにかく」'80年代に福岡県出身・鮎川誠さん出演の『はかたんもんラーメン』のCMで使われた言葉なので耳にした記憶がある人もいるだろう。これは「博多の者(もん)なー横道者(おうどうもん)、青竹割って褌(へこ)かいて、へーこの銭(ぜん)なー払いきらん」と、福岡の者が博多の者を囃し立てた言葉だが、博多の者はこの悪態の言葉を寧ろ自分たちの威勢の良さを褒める言葉だと自慢したそうな。
- たにわくどう(谷わくどう)
- 城西(福岡城の西側)の谷(現在の中央区谷周辺)に住む下級武士を指す蔑称。肩肘張って歩き谷筋から現れ出る姿を茂みから顔を覗かせるヒキガエル(福岡弁で「わくどう」博多弁で「わくろう」)に喩えた。
- ちんちくどん(ちんちく殿)
- 城西の西町に住む下級武士を指し町人がつけた蔑称。武士が住む屋敷を囲む壁は、上級武士は練塀が好まれ、下級武士では珍竹(蓬莱竹の一種)の竹垣が植えられた。これを「ちんちくかべ(ちん竹垣)」と呼び、この竹を弓矢の矢や鉄砲の火縄の材料にして内職としていた事から。
- 町人は下級武士を「足軽、すねがる、ひもじがる、食うてしもうて、ひもじがる。」と悪舌したそうな。
- 徒来放(とらいほう)
- 朝起きた時や何かあった時に縁起直しに呪文の様に低く口ずさんだ言葉。下級武士たちは物に臆せず大道狭しと「徒来放!徒来放!」と大声で連呼しながらかっ歩したそうな。「谷の殿、徳利片手にとらいほう」という川柳が残っている。
- じょうもん
- 別嬪。上物。
- ぶうてす
- 不別嬪(別嬪の反対語)
- まいかけじょうもん
- 美服を着れば見劣りする女性(前掛別嬪)
- おっぺっしゃん
- 不細工な顔
- しかちゅう
- 劣等。また醜女
- おちゃっぴい
- おてんば娘。お喋り、出しゃばり。を指す蔑称。
- あいらしか
- 可愛い
- ぬすと
- 身体が大きく立派なことを表す言葉。語源不明、「主人(ぬしと)」の転訛か?
- 例)どうした太きか奴かぁ、ぬすとのごとある。
- 私の思い出話しになりますが、私は子供の頃は小さい方だったのですが、高校時代に一気に身長が伸びました。その当時に今は亡き母方祖母と数ヶ月ぶりに会った時に「背の太(ふと)うしてぬすとのごたる」と言われた祖母宅玄関先での光景を今でも覚えています。当時は方言の言葉は殆ど気にも留めず聞き返したりもしませんでしたが、「ぬすと」と言う言葉は明治期出版の『新編福博たより』にて福岡弁の言葉だと紹介されており、最近になって福岡弁特有の言葉だと知りました。
- ふてぇがっていな
- 間投詞。単に「ふてー」「おふてー」とも。現代では「博多仁和加」のみで使われるお決まりの言葉として残り、”驚きを表す言葉”だと言われる事が多いが、単に「あらまぁ」「おやまぁ」「おやおや…」「まー」などの意味合いで”意外だ”の意味の間投詞として使われる言葉と言った方が正しい。
- 例)ふてぇがっていどぉじゃろぉかい(まぁどうだろうね?)。
- 五臓(ござ)も揃わんのって
- その器でもないくせに
- あっつぁい/こっつぁい/どっつぁい/そっつぁい
- あちらに/こちらに/どちらに/そちらに(「~さ・い」の転訛で「~の意味」)
- 見ゆる
- 見える
- 同様に「聞こゆる」等
- 行くな
- 行くのか?
- いごく
- 動く
- おしょるる
- 折れる
- かるう(担う)
- 背負う
- うったたく
- 叩く
- たぶる
- 食べる
- でくる
- 出来る
- なし
- どうして
- ぎょうらしい
- 騒々しい
- からすなえ
- こむら返り
- あるって
- 歩いて
- 博多弁では「歩く」を「さるく」と言いますが、福岡弁で育った為か明治生まれの祖父母やその友人からも「さるく」は聞いた覚えがありません。「あるって」は関東地方の方言でも使われている様です。
- うんにゃ
- 「いいえ」の意味。「んにゃ」や「うんや」とも。江戸言葉では相手の言葉を打ち消す時に使う言葉として使われる。
- だす
- 語尾に付ける断定の助動詞の丁寧語で「で・やす」が変化した言葉。「です」と同じ。
- 御免なさっせい
- ごめんください
- だんだん
- 感謝の言葉で「ありがとう」の意味。また「重ね重ね」
- 例)だんだん有り難う御座しタ(重ね重ねありがとうございました)。
- おりい
- 丁髷(ちょんまげ)
- じゃんぎり
- 散切り頭(五分刈り)
- ズック
- 語源はオランダ語。本来は運動靴を指すが靴全般を言う。
- ザルガニ
- 喇蛄(ザリガニ)。ザリガニの語源である膝行る(いざる)の転訛か?
- 銭(ぜん)
- 銭(ぜに)
- その他
- ウ音便を用いる(例:寒くなる→寒うなる)。
- カ語尾とサ詠嘆形を用い使い分ける。形容詞「い」と形容動詞「だ」は「か」に変わる(例:良い→良か/綺麗だ→綺麗か)が、詠嘆を表す場合には「さあ」(例:良さあ/綺麗さあ)を用いる。
- 助詞「は」は「な」に変化(例:田中さんは~→田中ざんな~)
- 助動詞「な」は「にゃ」「じゃ」に変化(例:やらなければ→やらにゃこて)
- 格助詞
- 格助詞「を」は「ば」に変化(例:本を読む→本ば読む)
- 格助詞「に」は「い」に変化(例:何処に→何処い)
- 格助詞「が」は「の」に変化(例:食欲がある→食欲のある)
- 格助詞「より」は「よか」に変化(例:花より団子→花よか団子)
- 形式名詞の「の」は「と」に変化(例:書くの→書くと)
- 詠嘆・念押しの終助詞「ね」は「な」に変化(例:ですね→だすな)
- 疑問の格助詞「か」は「な」に変化(例:これか?→これな[語尾下がり])
- 基本的には”ぞんざいな”言葉遣いをしない。
- がめ煮
- 福岡藩の戦陣料理。野菜(牛蒡・里芋・大根・人参・蓮根)、蒟蒻、骨付き鶏肉かブリの切り身を使いがめ繰り煮込むことから。「がめくる」とは”混ぜ合わせる”の意味。一説には、鶏肉ではなく亀の肉を使った事から「がめ煮」という説もあるが、「亀」は方言で「ごうず」と言う為、それならば「がめ煮」ではなく「ごうず煮」となった筈である。
- 筑前今様(ちくぜんいまやう)
- 筑前今様 呑み取り槍 高井知定作「のめのめ酒を 呑みこみて 我が日の本の その槍を 取り越しほどに 呑むならば これぞまことの 黒田武士」
- 黒田節(黒田武士)「酒は呑め呑め 呑むならば 日の本一の この槍を 呑み取るほどに 呑むならば これぞ真の 黒田武士」
- 福岡藩士・高井知定が作った(筑前)今様の呑み取り槍の一節は、福岡藩士・母里太兵衛の酒宴でのエピソードにちなむ、福岡藩の藩歌とも言える和歌である。福岡藩士の二川相近が創設した二川流を筆頭に旧藩士等が興した吟詠道(詩吟和歌)の流派によって今も歌い継がれている。全国に広く知られている「黒田節」は、その今様の一節を歌謡曲調にアレンジし、歌詞も改変された別物である。福岡藩士は「黒田節(武士)」を歌ったと多くの人は勘違いされているだろうが、福岡藩士が歌い今も歌い継がれているのは「黒田節」ではなく原曲の今様である。
- 福岡市内に母里太兵衛像は2体存在するが、像の台座に記された歌は、博多駅前のは「黒田節」で黒田如水・長政親子を祀る光雲神社のは原曲の「今様」になっている。念の為に、福岡藩の武家文化は博多ではなく福岡の文化である。
- 今では「黒田節(黒田武士)」は福岡民謡だと言われているが、元々は昭和3年にNHK福岡放送局が民謡番組にて(筑前)今様を「黒田節」と題して全国放送で流した事に端を発する。端正厳粛な原曲の今様の詩を改変して尺八や三味線などの伴奏を付け、「黒田節」と安っぽい名前まで付けてテレビで繰り返し流して広めてしまったのである。瞬く間に全国に広まった「黒田節」は、その後、営利追求のレコード作品として赤坂小梅(福岡県田川市出身)という一芸者を売り出す為に使われ、戦時中には戦意高揚の歌としても使われた。当時の福岡では由緒ある今様を「黒田節」と名付けた事に怒りを覚える者も当然いたそうだが、「黒田節」と名付けた張本人であるHNK福岡放送局の井上精三氏(博多出身)は後年自身の著書にて、井上氏本人が「黒田節」と名付けからこそ流行して全国に広まり福岡の宣伝にもなったと傲慢な言い訳をしている。単に自身の承認欲求を満たす為に(筑前)今様を利用したとしか思えない。当時を知らない私でさえも大変腹立たしく思うのだから、当時の福岡の人たちにはそれこそ「ぞうのきってきりわく」(激怒の意味)思いだった筈である。旧士族であればなお更の事であったであろう。繰り返すが、「黒田節(黒田武士)=筑前今様」だと誤解しないで欲しい。「(筑前)今様」と「黒田節」は全くの別物なのである。福岡で歌い継がれているのは原曲の今様であり黒田節なんてものは福岡藩士は知らないし子孫にも歌い継がれてはいない。(筑前)今様と『福岡弁』はどちらも福岡藩士繋がりの福岡の文化なので、昨今の「福岡弁」という誤用が方言という伝統文化の保存活動にどれだけ将来的に悪影響があり危険なのかよくお分かり頂けよう。
- ちなみに、私の母と亡き祖父母(母方)は二川流の和歌を習得。母の師匠で当時の副館長曰く「芸者が余興で謡う様なものではない」とお怒りだったとか。また”あの人”のせいで本物の(筑前)今様が廃れてしまったとも(”あの人”と”芸者”とは、恐らく戦後直後に人気を博した赤坂小梅を指すのであろう)。
- 地名
- 福岡では、福岡城南側の「薬院門」は”やくいもん”、「薬院(やくいん)」は”やくい”、旧町名「天神町(てんじんのちょう)」は”てんじのちょう”とん抜きで呼んだ。また、「室見川」は”もろみ川”と呼ばれ藩作成の古地図にも記され残っています。他にも「紺屋町」は”こうやまち”、「中洲」は”なかず”と言う。(昔、NHKのアナウンサーが「紺屋町」を”こんやまち”と誤って言っていた事から、当時の子供たちは学校の先生よりもNHKのアナウンサーの方が正しいと信じて”こんやまち”の呼び方が広がった様で、今では紺屋町にちなむ通り名称などは”こんやまち”になっている。非常に嘆かわしい事だ。)
- とっとっと?/とっとっと
- とっとっと?(取ッて御座アとな)=「(座席や物など)取っていますか?」、とっとっと(取ッて御座ル)=「取っていますよ。」という様に質問する方とされる方の二人の会話はこれだけで会話が成立します。現在の博多弁ではこれが変化して「とっとーと」と言います。
- おっとっと とっとってって いっとったとに、なんで とっとって くれんかったと!
- 方言の「とっとっと」とお菓子の「おっとっと」を掛けた言葉遊びで、「おっとっと 残しておいてと 言っておいたのに、どうして 残しておいて くれなかったの!」の意味。森永製菓の「おっとっと」('82年4月発売)が発売された同時期に同年代の従姉妹姉妹から初めて教わったが、小学校中高学年になる頃には完全死後になっていた'80年代当時の幼児の言葉遊びである。
- でーこんてーててー
- 「大根炊いておいて」
- 昔、父方祖父に教えてもらった言葉。「だ」が「で」などへの音便変化が良く分かりませんが、明治以前の福岡弁は相当訛っていた様です。父曰く「武家言葉とかそういうものではない”田舎言葉”だ。」と言うぐらい父の祖父母の福岡弁は訛っていたそうな。
あとがき
一昔程前から、”福岡県内の方言を一括り”にして福岡弁
と呼んだり、若者が喋る様な方言色の薄い”マイルドな博多弁”の事を福岡弁
と呼ぶ人が現れ始め、また、方言に関する書籍やインターネット上の情報、TVドラマの登場人物、マンガやアニメにゲーム等に福岡弁
と称した方言を喋るキャラクターが登場したり、最近の若い芸能人の中には特技が福岡弁
だと自称して方言の早口言葉を自慢する人まで存在しますが、それら全ては”福岡弁ではなく博多弁などの福岡県の方言”です。昨今の福岡は人口流入の激しさもあってか、移住者や若者を中心に、歴とした『福岡弁』という方言が存在する事を知らない人たちによる福岡弁と称した誤用が広がっています。全てや殆どという言葉は言い過ぎじゃないか?とも思われそうですが、中には正しい情報もありますがそんなのは極稀で間違えた情報ばかりなのです。
ネット情報や書籍など『福岡弁』に関する情報の殆どが思い違いをした誤った情報ばかりで、正しい情報は指折り数える程度しか確認できません。折角、記事の中で本来の『福岡弁』について触れられてはいても、Wikipediaでさえも既に消滅した
などと書かれてあり悲しくなります。仕方のない事かも知れませんが、ご自身が生まれてから一度も耳にした事がないだけで消滅扱いしないでいただきたいです。また博多弁に吸収された
なんて記載も見かけますが、『福岡弁』の一部の言葉が博多弁に転用はされていても吸収されてなどいませんし、『福岡弁』は『福岡弁』として今も存在しています。現に、私の家族や親戚以外にも話者が存在しています。歴とした『福岡弁』の会話を一言も耳にした事すらない人による思い違いで溢れかえっています。
福岡弁
と称して博多弁を紹介する書籍やネット情報等が氾濫しており、それらが博多弁を福岡弁
と間違えた言い換えを更に助長をしている様に思います。メディアやインフルエンサーは非常に大きな影響力を持つので、それらによるデマや似非福岡弁の氾濫にはうんざりです。
(念の為に、福岡県は豊前国・筑前国・筑後国の3つの旧律令国の地域から成り、各地域で藩も文化も方言も違うので福岡県内の方言を単純に一括りには出来ません。長くなるので割愛させて頂きます。→[追記:福岡県の方言の総称を福岡弁と言う勿れ!])
今の福岡市周辺の若者の中には、「自分たちは高齢者や中高年のおじさん・おばさんの様なダサく古臭い喋り方はしない」(例えば、「ばい」「たい」や「ばってん」等は使わない)から、或いは、博多弁を恥じてなのか福岡弁
と称したり、中には「博多弁は元々は博多の町の狭い地域の方言なのだから博多ではない福岡市中央区(またその周辺地域)に住む自分たちの方言は福岡弁だ」などと、一聴すると正論に聞こえる主張をする人もきっと存在するだろうと思います。然しながら、福岡市や周辺地域には明治以降は博多弁が広まり浸透しており、居住地域や年齢により言葉遣いに差があるだけで、方言の言葉遣いが博多弁であればそれらは紛れもなく「博多弁」なのです。そもそも言葉遣いの基礎が『福岡弁』とはほど遠く全く異なります。違いは本記事の福博予備知識に記載した通りです。
SNSや動画等で福岡弁を話すと自称する人を見かける事もありますが、どれもかしこももれなく博多弁です。どうかすると「めっちゃ」であったり「~るん」や「~いん」や「~なん」等の関西など他地域の言葉混じりで福岡弁どころかもはや博多弁ですらない言葉だったりする人もいるようです。最早そういう類は「ネオ博多弁」(進化版博多弁)とでも呼んだ方が良いのかも知れませんね。
余談ですが、「めっちゃ」は'80年代の漫画『Dr.スランプ』の主人公アラレちゃんの言葉「めちゃんこ」に由来するそうです。
地域毎に方言を線引きするのは非常に難しい話しになりますが、本文で解説しました様に、少なくとも福岡市内においては、江戸時代から現在に至るまで”福岡弁と博多弁の二つしか存在しません”。従って、歴とした『福岡弁』が存在する以上、固有名詞(一意の名称)である『福岡弁』とは違う意味で福岡弁
と言うのは勘違いも甚だしく誤りなのです。既存する『福岡弁』という”固有名詞”の乗っ取り行為は文化盗用であり、既存する『福岡弁』を排除・排斥する行為やデマを広めるのはお止め下さい。
本来の『福岡弁』は、江戸時代の福岡藩藩士の武家言葉を基盤にした言葉遣い(方言)なので、基本的に敬語(現代の共通語の敬語ではなく武家言葉)で話せないのであれば福岡弁に非ずと言っても過言ではないでしょう。実際、昔は福岡弁を話す家庭では、子供の頃に博多弁の様な言葉遣いをしたら注意され育った方もいる筈です。
『福岡弁』は元々話者が少なく、しかも話者の高齢化も相まって存在そのものを知る人も益々減りつつあります。それ故、この間違えを指摘できる人も殆どいないでしょうし、この福岡弁
という誤った言い換え(固有名詞の乗っ取り)をするデマが野放し状態なのです。
また、最近ではAI技術の発達により、数々のAIチャットも登場していますが、そもそもネット上には福岡弁に関するデマ(これまで述べた様な間違え)が多く拡散されておりそれらが上位ヒットする為、本当の『福岡弁』についての正しい回答を生成できません。AIを学習させる意味でも正しい情報を広めなければなりません。ですが、話者が少なく誤りを指摘出来る人が少ない事は先述した通りです。
『福岡弁』という固有名詞の侵害が広がれば、『福岡弁』の存在が薄らぎ、福岡弁の保存・継承を阻害するので大変迷惑です。本記事により誤用にお気付きの方は今後は誤用されない様にお願い致します。
もし、あなたの周囲に『福岡弁』を勘違いしている方がおられたらならば、それは本当の福岡弁では無い事を優しく教えてあげて下さい。どうぞよろしくお願い致します。
それでは、長くなりましたが、最後までご一読くださりありがとうござました。
- 「写真提供:福岡市」
リンク集
役に立ちそうなリンク集です。
- 福岡県(筑前)方言データベース
- 福岡の郷土史を研究されている楢山おろか氏作成の福岡県(筑前)方言データベースです。まだ未完成だそうですが、福岡弁の武家言葉も含め多くの言葉が収録されています。
- [福岡城下町・博多・近隣古図]
- 九州大学附属図書館所蔵の古地図(19世紀初めの福岡・博多絵図)です。
- 福岡市 博多の豆知識vol.4 「福岡市か博多市か!?」
- 新市名を福岡市にするのか博多市にするのかで大論争した当時のお話しです。
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- 天神地下街にある肥前堀ゆかりの場所の由来について。
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- 福岡と博多をつなぐ西中島橋と桝形門の歴史について。
- 戦災復興土地区画整理事業
- 第2次世界大戦の末期の空襲被害からの復興計画について。