2024-08-03

「博多」の「博」は点なし?福岡くんで問題に!

先日(7/28)放送の「地元検証バラエティ 福岡くん。」(FBS福岡放送)にて、”博多の博の点がやばいことに。”という話題が取り上げられました。

番組の感想です(※ネタばれ含む)。

番組の調査が大雑把過ぎます。番組予告を見た私が勝手に想像を膨らませ何かちゃんとした理由があるのかな?と期待したのが悪かったのかも知れませんが、番組放送では単純に「博」の点なしは間違いだという生粋の博多っ子を貶める様な内容と締めくりに強い憤りを感じました。そこで、私なりに『点なし「博多」問題』について考察してみました。

番組の放送内容をご存知ない方の為に、あらすじを──。

  1. 番組に1通の視聴者(20代女性)メールが届く。

    私は福岡市博多区で働いてますが「博多」の「博」の右上の点を書き忘れてる人が多過ぎます。どうにかしてください。

  2. 博多区役所前で出て来る博多区民にスタッフが「博多」と書いて下さいと調査。
  3. 4人に1人(31名中8名)が点を書き忘れる。居住年数4年の若者は「博多」と書く。年配者ほど点を書かない。居住年数50年以上で点を付けない高齢男性も。中には右上の点も「寸」の点も書かない人までも存在。
  4. 天神で「博多」(点なし)でも読めるか調査(殆ど若者)。殆どの人が「はかた」と疑問を持たずに読む。
  5. 「博」(点なし)一文字ではどうか再調査(同じく天神で殆ど若者)。「博」の文字一文字だけだと殆どの人が間違いを指摘したり違和感を覚える事が分かった。
  6. スタッフ3人が辞書で調査、「博」に似た漢字「薄」なども点が付くのに「専」は点が付かない事に気付く。
  7. 中村学園大学(だったかな?)の漢字に詳しい女性教授に話しを聞きに行く。
  8. スタッフが教授に「専」にも点を付ける様にしたら間違いが起きないのでは?と提案。教授曰くそれは無理だと。「博」と「専」では、漢字の成り立ちが違う事の説明。
  9. 検証結果。”博多には「、」を忘れずに、そして「専」は悪くない。”

大雑把ですが、この様な内容でした。

番組では一切触れられていませんが、普段よく歴史資料を読みあさっている私の知るところでは、明治中期以前の古い資料(古文書や古地図等々)では、「博多」の「博」の文字は殆どが点なし(「十」+「専」)の異体字(現代の標準とは異なる字体)で書かれています。かの『伊能図』(制作:伊能忠敬)などでも「博多」は点なしの「博」で記されています。その他の資料でも同様です。明治中期を過ぎる頃から、活版印刷が普及し出すに連れて点あり「博」が見られる様になり、常用漢字が定められた昭和の戦後ともなると点なし「博」は希少になります。

(※「はかた」の呼び名に「博多」という文字が使われ始めたのは、大伴部博麻呂の名が世に広まった飛鳥時代だとも言われています。)

4人に1人(31名中8名)が点を書き忘れ。番組では点なしを書き忘れだとしていますが、これには番組で一切触れられていない理由があります。この疑問について考えるには、漢字の知識も然る事ながら、歴史的なこと(時代の変遷)も踏まえる必要があります。ここでは簡略に説明を述べさせて頂きます。

江戸時代には幕府は「御家流」(行草体と変体仮名)という平安時代頃よりある日本固有の書体を公用の字体(書体)だと定め、藩校や寺子屋で書の手本として使われると大衆化して全国に浸透し、明治に活字が普及するまで一般的に使われていました。福岡/博多の出版物(古書)に限らず、全国的に「博」の文字は点なし(「十」+「専」)で点を省略して記されていることが殆んどなのです。また、歴史に詳しい知人(学芸員)の話しによれば、初代総理大臣・伊藤博文の直筆ですら、TPOに合わせて自らの名「博文」の「博」を点ありと点なしで使い分けしていた様です(早稲田大学が所蔵している手紙15通では全て点なしだとか)。

現代とは違う筆(毛筆)の文化だった時代には、咎なし点といって、点を打つ必要がない文字でも文字のバランスや筆運びのリズムなどで点を打つ事もあり(例:圡や𡈽など)、また逆に打つべき点を省略することもありました。点なしもまた咎めずなのです。当時の教本(今でいう教科書)でさえそうなのですから、昔は現代とは違い実におおらかな時代だったのです。

明治時代に活字が普及するまで使われていた「御家流」ですが、明治になると新政府は中国・清時代の漢字辞典「康熙字典」にある文字を正字(現在の旧字)だとし、明治35年以降の国語審議会で正字を定める動きは本格化。その後、第二次世界大戦後に当面用いる漢字として当用漢字が、更に現代の常用漢字が定められ、それ以外は異体字(旧字や俗字、誤字など)になりました。

(※「博」の文字のつくり「甫」は「屮」と「田」で出来ており、「点」は漢の時代以降に生じた様です。)

もっと詳しく知りたい方は図書館やネット検索でもして調べてみて下さい。「博」の点の有無については、国や各大学などの機関が所有するデータベースで検索して調べて頂ければ誰でもご確認頂けます。

話しを戻します。博多区民・・・とは言っても、たかだか半世紀程の歴史しかない博多区の全てが古来より存在する「博多」ではありません。本来の「博多」、私たち古い地元民が言う「博多」とは、現在の福岡市博多区のほんの一角に過ぎない豊臣秀吉による『太閤町割り』や770余年の伝統を誇る『博多祇園山笠』で知られる地区が「博多」です。博多部や博多旧市街と呼ばれている地区が「博多」です。

博多通りもんのTVCMでお馴染み、『博多っ子純情』の作者・長谷川法正さん(現在78歳)のコラムにこの様にありました。

小さいころの記憶では、父親宛の郵便や、宣伝関係の書き文字などに「、」のない博の字を見て育ったような気がする。数年前まで「、」のない博多人形の大きな金文字を窓ガラスに書いた人形屋さんもあった。山笠の古典的名著『博多祇園山笠史談※2』にも「、」はない。

[引用: 長谷川法世のはかた宣言98・博多の博 より]

先述しましたが、「博」の字は昔は点なし(「十」+「専」)で書かれる事が多く、「博」という文字を一般人よりも書いたり目にする機会が多い生粋の博多っ子だからこそ、数百年という長い歴史の間点なしの「博」の文字を町全体で代々受け継いできたのだと思われます。

「福岡くん。」の番組出演者の斉藤優さんの「斉」の字は、本名は旧字体の「齋」らしいですが、常用漢字ではない「齋」を使うのは代々その文字を受け継いできたからではないのですか?「博多」の点なし「博」もそれと同じことだと思います。

中には単に「博」の点を不勉強で忘れている人もいるかも知れませんが、視聴者メールの送り主(20代女性)や番組スタッフ、そしてこの番組を観た多くの視聴者たちは、以上の様な時代の変遷(和様から唐様へ)をきっとご存知ではない。学校教育で習うことが正しいとされる現代(たかだか数十年の歴史)において、この点なし「博」を書いた博多っ子を不勉強だとか馬鹿だとかSNSで揶揄し罵る人を沢山みかけますが、これはその土地特有の方言や文化と同じで貴重なことなのだと気付く人が少ないことを残念に思います。

昔、福岡には「紺屋町」(現在の福岡市大名1~2丁目辺り)という地名がありました。正しい読みは「こうやまち」ですが、NHKのアナウンサーが「こんやまち」と発言していた事から、当時の子供たち(私の親世代)の間で「こんやまち」という読み方が広まり、今では旧町名に由来する通りの名称を「紺屋町(こんやまち)通り」と呼びます(備考:中央区都心部の通り名称@福岡市中央区)。私は亡き祖父から「こうやまち」だと教えられていたので、これは歴史の改ざんの様に思えてなりません。嘆かわしい限りです。

ですから、「博」の点なしは博多の文化(和様の名残)として消えずに受け継ぎ残して欲しいと思います。番組で再調査が可能ならば、対象者を博多部出身の生粋の博多っ子に限定して世代別に調査をしてみて欲しいです。どういう結果になるのか気になるところです。博多弁の「ばってん」同様に若年層では点なし「博」は絶滅してそうな予想はつきますが・・・。

番組の博多区区役所前での調査ですが、博多とは無縁の他所から引っ越して来て居住年数が短い特に若者であれば、学校で習う漢字(点あり「博」)を正しく書けて当然です。もし書けなければ、それこそ不勉強です。(「博」の文字は、公益財団法人日本漢字能力検定協会の「級別漢字表」によると、漢字検定7級(小学校4年生修了程度)になっています。)

また、調査で「博」の字の二つの点を省いて書かなかった方がお一人いました。流石にそれは無い。典型的な博多の横道者(博多弁で横着者の意味)だと私は思いましたが、その後調べてみると、明治期の福岡の出版物に同様に二つの点を省略した「博」の字(「博識」という単語)が記された書物を偶々見つけました。当時の常識は現代の常識とは全くの別物なのかも知れません。

博多の町は、過去に幾度も焼失しては復興を繰り返した歴史があります。その事から「博多」の「博」の字の点が飛び火を連想して不吉だとして付けない様になったとか、そんな可能性があるかも知れないなどとも考えましたが、他地域で出版された古書でも「博」が付く地名で点なしは見られる為、単純に昔の書体の名残が理由なだけの様です。

余談ですが、JR各社のロゴの「鉄」の文字のつくり(右側)は「失」ではなく「矢」になっています【JR九州(九州旅客鉄道株式会社)のロゴマーク】。

「博多」に限らず、古くから「博」が付く地名や人名(固有名詞)では、点なし「博」を用いていることがあり、常用漢字とは異なるから間違いだとは一概に言えないケースも存在するのではないでしょうか?

ただ、住所を書く場合には、「博多区」は昭和47年発足なので「博多区」の博は点をつけて書くべきでしょうね。

下の画像は、古図『伊能図』における「博多津」の記述で、点なし「博」及び咎なし点付きの「津」の文字(9画目の縦棒の右横に点)が確認できる。