2003-07-19

「今朝の嵐は凄かった・・・。」

私は、洗顔が終わると顔を上げながら、そう呟いていた。

稲妻のけたたましい音に目覚めたのは、明け八つ半(2時)過ぎのことであった。昨日から続く雨は、夜半過ぎには嵐に変わっていたのである。稲妻が花火の閃光以上の光を発したその刹那に、地響きとともに凄まじい雄叫びを雷神は発した。雷鳴の次の瞬間、私の部屋の窓は激しい風雨の打ち付ける音と共に、ブルブルと恐怖に震えていた。恐らくすぐ近くのどこかに、それは木々なのか?それとも?兎に角何処かに落雷したことが間違いないと感じられた。

昨日からの降雨は、梅雨のこの時期としてもそう大したものではなかった。私は雨戸を閉めることなく、暁九つ(23時半)頃には、いつもの様に眠りに就いていた。ところがである。私が生まれてこれまで記憶に無い、それほど強烈な嵐だったのである。夜道を照らす街灯がチカチカと消えそうに灯りを燈しているかの如く、カーテン越しの窓の外の景色は、稲妻が激しく閃光を発する。そんな嵐だったのだ。

雷が閃光を発して雷鳴を轟かせるまでの時間が長ければ長いほど、落雷した場所までの距離は遠いのだが、今朝の嵐による稲妻は、光った瞬間に雷鳴を轟かしていた。つまり、落雷した場所はすぐ近くということになる訳だ。

雷治。つまり、”める者”と書く私のこのハンドル(元々、ペンネーム)とは裏腹に、私は布団に包まり雷鳴に怯えていた。いつ我が家に落雷するかもしれぬ恐怖と共に。。。

すぐ近所に落ちたであろう雷は、とても数える余裕も無い程に半端なものでは無かった。我が家の近くに学校が幾つも点在するので、学校の避雷針に多くは落雷したのであろう。嵐が落ち着き、雷鳴も聞こえる事が無くなっていた時刻は、明け六つ半過ぎ(6時近く)のことであった。結局雷鳴に怯え眠ることが間々ならぬまま朝を向かえ、洗面所で私は右手をヘソに当てると「ホッ・・・。」と一息吐いていた。

未明にかけての降水量は、一ヶ月分のそれに相当し、土石流による家屋の倒壊や河川の氾濫により河と化した町並みが、歴史的な嵐による痛々しいまでの街の風景が、その頃テレビの報道にて映し出されていた。