-*- Mode: Text; Encoding: Shift-JIS -*- ==============================================================================    『乱世の覇者』〜天下統一までの歩み。〜 ============================================================================== ■このファイルの内容 ==================== 1.統一軌跡 2.あとがき ------------------------------------------------------------------------------ ■1.統一軌跡 ============ * 開始日:2008-08-20 * 終了日:2008-08-30 ############################################################################### ●選択大名家の情報 ############################################################################### ターン及びフェイズ:1551年春更新 開始大名:村上義清 総石高:8万石 威信:5 豪族 CP:7 残高:10 総国:0 総兵:30 総武将:3 (北信濃国20万石 支配率:40%) ############################################################################### ●2008-08-20 (1日目・1年目) ############################################################################### 1551年春 *東北、北陸地方に大雪が降る。 1551年夏 ・高梨政頼を海津城(北信濃)へ移動する。 ・独立勢力の砥石城(北信濃)へ攻め込み(城郭7,兵数10←30)、強襲(x2)により落 城させる。  落城の折に、屋代政国が降伏する。  村上義清、楽岩寺光氏、高梨政頼ら三人で攻め、攻城戦で兵5の被害が出る。 1551年秋 ・兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で15雇える)。  応募兵を全て村上義清に割り振り、村上義清の兵が11となる。 ・独立勢力の小諸城(北信濃)へ攻め込み(城郭6,兵数10←28)、強襲により落城させる。  落城の折に、相木昌朝が降伏する。  村上義清、楽岩寺光氏、高梨政頼ら三人で攻め、攻城戦で兵2の被害が出る。 ・武田家に小諸城(北信濃)を攻められる(兵25→兵27)も野戦にて迎撃する。  鶴翼の陣で勝負に挑むと武田も鶴翼だったが、当家の先制攻撃により敵左翼・穴山信 友を一撃で敗走させる。  武田家:穴山信友(5→1)、真田幸隆(10)、馬場信春(10→9)  村上家:村上義清(10)、楽岩寺光氏(7)、高梨政頼(9)、相木昌朝(1) 1551年冬 *東北地方に大雪が降る。 ☆大名家レベルが小大名へ格上げとなる。 ・兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で21雇える)。  応募兵の全てを村上義清に割り振り、村上義清の兵が13となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を高梨政頼に割り振る。  武田家との野戦に備え、鉄砲を多く配備した部隊を準備しておこう。 ・村上義清を砥石城(北信濃)へ移動する。 ・武田家の上原城(南信濃)へ攻め込み(城郭5,兵数5←13)、敵が退去した城を強襲 と包囲により落城させる。  村上義清(13)ひとりで攻め、攻城戦で兵1の被害が出る。 ・武田家の内山城(北信濃)へ攻め込み(城郭4,兵数0←16)、包囲(x2)により落城 させる。  楽岩寺光氏(7)、高梨政頼(9)ら二人で攻める。 *武田家が福島城(南信濃)を攻め落とす。 ------------------------------------------------------------------------------ 1552年春 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で37雇える)。  応募兵の全てを楽岩寺光氏に割り振り兵が10となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を高梨政頼に割り振り、鉄砲が2となる。 *武田家が北条家との同盟を破棄する。 ・楽岩寺光氏、高梨政頼らを上原城(南信濃)へ移動する。 ・武田家に上原城(北信濃)を攻められる(兵22→兵29)も野戦にて迎撃する。  武田家:飯富虎昌(11→2)、小山田信有(11(6-5)→4(2-2))  村上家:村上義清(12→10)、楽岩寺光氏(10)、高梨政頼(9)  天候は雨──。鶴翼の陣で挑むと武田家は横陣で対する。  当家が後攻だったので最初のターンに全軍前進し、次のターンに先攻となり一斉突撃 を開始する。  続いて敵も突撃を仕掛けて来るも、小山田信有の部隊を敗走させて寄せ手を退却させる。 1552年夏 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で35雇える)。  応募兵の全てを屋代政国に割り振り兵が4となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を高梨政頼に割り振り、鉄砲が3となる。 ・武田家に上原城(北信濃)を攻められる(兵39→兵29)も野戦にて迎撃する。  武田家:武田信繁(11→4)、馬場信春(10→8)、武田信玄(10→10)、真田幸隆( 8→7)  村上家:村上義清(10→9)、楽岩寺光氏(10→10)、高梨政頼(9→9) 1552年秋 ・高梨政頼に俸禄を与える(俸禄2,忠誠3→俸禄4,忠誠6)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で33雇える)。  応募兵の全てを屋代政国に割り振り兵が10となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を高梨政頼に割り振り、鉄砲が4となる。 *北条家が今川家との同盟を破棄する。 ・上原城(南信濃)城の普請を行い、城郭規模が3→6になる。 *今川家が武田家との同盟を破棄する。 ・武田家に上原城(北信濃)を攻められる(兵43→兵28)も野戦にて迎撃する。  武田家(鶴翼):飯富虎昌(6→2)、小山田信有(8→4)、武田信玄(9→8)、武田 信繁(5→5)、馬場信春(7→7)、真田幸隆(7→7)  村上家(魚鱗):村上義清(9→9)、楽岩寺光氏(10→10)、高梨政頼(9→9) 1552年冬 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で29雇える)。  応募兵の全てを屋代政国に割り振り兵が15となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を屋代政国に割り振り、鉄砲が1となる。  前のターンで高梨政頼に鉄砲を割り振り4にしたが、兵士数の30%という遊戯規定を忘 れていた・・・。(嘆) *武田家が斉藤家と同盟を結ぶ。 ・武田家の深志城(南信濃)へ攻め込み(兵←兵)、包囲(x2)・強襲により落城させる。  野戦の際に、武田家の武田信繁が討ち死に。  落城の折に、飯富虎昌、馬場信春らが降伏する。  武田家(鶴翼):飯富虎昌(2→1)、小山田信有(4→1)、武田信繁(5→2)武田信 玄(7→7)、馬場信春(7→3)、真田幸隆(7→4)  村上家(鶴翼):村上義清(9→7)、高梨政頼(9→9)、楽岩寺光氏(10→10)、屋 代政国(15→15)  天候は雨。敵の鶴翼に対してこちらも鶴翼で挑む。  先に配置された武田家の部隊の兵数はこちらの半分以下なので、先攻を取られても両 翼の部隊の損害は少ない。 ------------------------------------------------------------------------------ 1553年春 ・馬場信春に俸禄を与える(俸禄10,忠誠4→俸禄12,忠誠7)。 ・村上義清、飯富虎昌らを内山城(北信濃)へ移動する。 ・楽岩寺光氏、高梨政頼、屋代政国、馬場信春らを上原城(南信濃)へ移動する。  福島城(南信濃)の武田家の主力の兵力は5なので、空き城の深志城に攻めてきたと しても大丈夫だろう。  この隙に、兵力増強と南信濃の領地拡大に勤しもう・・・。 ・独立勢力の高遠城(南信濃)へ攻め込み(兵5←兵31)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、保科正俊が降伏する。 ############################################################################### ●2008-08-21 (2日目・3年目) ############################################################################### 1553年夏 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で43雇える)。  応募兵の全てを村上義清に割り振り兵が8となる。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を屋代政国に割り振り、鉄砲が2となる。 ・北信濃で楽市楽座を行い、町の規模が1.5(住民感情が2)上がる。 ・武田家に深志城(南信濃)を攻められる(兵5→兵0)も城を守りきる。 ・武田家に上原城(南信濃)を攻められる(兵10→兵0)も城を守りきる。 1553年秋 *武田家に跡継ぎの武田信廉が登場する。  跡継ぎの登場で福島城の兵数が10増えるのが面倒だ。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で41雇える)。  応募兵の全てを村上義清に割り振り兵が11となる。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で37雇える)。  応募兵の全てを高梨政頼に割り振り兵が9となる。 ・北信濃で楽市楽座を行い、町の規模が1.8(住民感情が3)上がる。 ・独立豪族で飯田城(南信濃)の小笠原信貴(兵10)の引き抜きに成功する。 ・保科正俊、屋代政国らを深志城(南信濃)へ移動する。 ・独立勢力の飯田城(南信濃)へ攻め込み(兵0←兵29)、包囲(x3)により落城させる。 ・武田家に深志城(南信濃)を攻められる(兵13→兵15)も野戦にて迎撃する。  武田家:武田信廉(10(5-5)→5(2-3))、小山田信有(3→3)  村上家:屋代政国(14(7-7)→14(7-7))、保科正俊(1→1)  天候は雨──。鶴翼の陣で挑むと武田家は横陣で対する。  合戦開始早々、敵が前進するも当家の突撃の前に両翼の武田信廉の部隊を敗走させる。 ・武田家に上原城(南信濃)を攻められる(兵6→兵0)も城を守りきる。 1553年冬 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で37雇える)。  応募兵の全てを村上義清に割り振り兵が13となる。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で34雇える)。  応募兵の全てを高梨政頼に割り振り兵が11となる。 ・北信濃で楽市楽座を行い、町の規模が2.5(住民感情が5)上がる。 ・楽岩寺光氏、高梨政頼、小笠原信貴らを小諸城(北信濃)へ移動する。 ・飯田城(南信濃)城の普請を行い、城郭規模が5→8になる。 ・山内上杉家に小諸城(北信濃)を攻められる(兵30→兵45)も野戦にて迎撃する。  野戦の際に、山内上杉家の倉賀野直行が討ち死に。  山内上杉家:倉賀野直行(10→5)、小幡憲重(10→4)、長野業正(10→8)  村上家:小笠原信貴(10→10)、楽岩寺光氏(9→8)、高梨政頼(11→11)、相木昌 朝(1→1)  天候は晴──。鶴翼の陣で挑むと山内上杉は雁行(右頭)で対する。  合戦開始早々から当家の鉄砲隊が射撃の威力を発揮する。 ・武田家に上原城(南信濃)を攻められる(兵6→兵0)も城を守りきる。 ------------------------------------------------------------------------------ 1554年春 ・深志城(南信濃)に諏訪頼忠が登場、家臣に加える。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で28雇える)。  村上義清に兵2を割り振る(兵15)。  高梨政頼に兵4を割り振る(兵15)。  楽岩寺光氏に兵2を割り振る(兵10)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で17雇える)。  馬場信春に兵2を割り振る(兵3)。 ・山内上杉家の松井田城(上野)へ攻め込み(兵27←兵36)、野戦に勝利した後、包囲 により落城させる。  山内上杉家:長野業正(9→1)、小幡憲重(5→3)、赤井照景(4→1)、山内上杉憲 政(9→1)  村上家:高梨政頼(15→14)、楽岩寺光氏(10→10)、小笠原信貴(10→10)、相木 昌朝(1→1)  天候は晴──。山内上杉の雁行(右頭)に対して、魚鱗で挑んだ。 1554年夏 ・上野で一揆が発生する。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で20雇える)。  飯富虎昌に兵7を割り振る(兵8)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で11雇える)。  馬場信春に兵2を割り振る(兵5)。  屋代政国に兵1を割り振る(兵15)。 ・武田家に上原城(南信濃)を攻められる(兵6→兵0)も城を守りきる。 1554年秋 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で8雇える)。  飯富虎昌に兵3を割り振る(兵11)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で4雇える)。  馬場信春に兵2を割り振る(兵7)。 ・佐竹家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 *上杉家が蘆名家、最上家との同盟を立て続けに破棄する。 ・武田家の真田幸隆(兵1)の引き抜きに成功する。 ・馬場信春を飯田城(南信濃)から内山城(北信濃)へ移動する。 ・諏訪頼忠を深志城(南信濃)から内山城(北信濃)へ移動する。 ・武田家の韮崎城(甲斐)へ攻め込み(兵6←兵38)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、穴山信友、山本勘助らが降伏する。 ・武田家の韮崎城(南信濃)へ攻め込み(兵15←兵50)、包囲(x3)する(城郭10→6)。 1554年冬 *東北地方に大雪が降る。 ・楽岩寺光氏、屋代政国らを深志城(南信濃)から松井田城(上野)へ移動する。 ・穴山信友、山本勘助らを韮崎城(甲斐)から飯山城(北信濃)へ移動する。 ・山内上杉家の長野業正(兵4)の引き抜きに成功する。 ・北条家に韮崎城(甲斐)を攻められる(兵53→兵38)も野戦にて迎撃する。  北条家(鶴翼):遠山政景(13→1)、北条綱成(13→1)、大道寺盛昌(15→7)、 富永直勝(12→1)  村上家(魚鱗):馬場信春(7→7)、村上義清(15→15)、諏訪頼忠(5→5)、飯富 虎昌(11→11) ・武田家の福島城(南信濃)へ攻め込み(兵15←兵26)、野戦に勝利した後、包囲(x3 )により落城させる。  落城の折に、小山田信有が降伏する。 ------------------------------------------------------------------------------ 1555年春 ・韮崎城(甲斐)に内藤昌豊が登場、家臣に加える。 ・高遠城(南信濃)に沢渡盛方が登場、家臣に加える。 *武田家が斉藤家との同盟を破棄する。 ・諏訪頼忠に俸禄を与える(俸禄3,忠誠4→俸禄5,忠誠7)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で12雇える)。  山本勘助に兵6を割り振る(兵7)。 ・福島城(南信濃)城の普請を行い、城郭規模が4→7になる。 ・北条家に韮崎城(甲斐)を攻められる(兵40→兵43)も野戦にて迎撃する。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵54←兵1)、即退去する。 1555年夏 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で3雇える)。  山本勘助に兵3を割り振る(兵10)。 ・小笠原信貴、高梨政頼らを福島城(南信濃)から松井田城(上野)へ移動する。 ・山内上杉家の箕輪城(上野)へ攻め込み(兵0←兵39)、強襲(x2)により落城させる。 ・北条家の府中城(甲斐)へ攻め込み(兵0←兵28)、強襲(x2)により落城させる。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵54←兵1)、即退去する。 ############################################################################### ●2008-08-22 (3日目・5年目) ############################################################################### 1555年秋 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で51雇える)。  山本勘助に兵6を割り振る(兵16)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で43雇える)。  小山田信有に兵3を割り振る(兵4)。 ・村上義清を韮崎城(甲斐)から府中城(甲斐)へ移動する。 ・高梨政頼を松井田城(上野)から府中城(甲斐)へ移動する。 ・沢渡盛方を高遠城(南信濃)から箕輪城(上野)へ移動する。 ・北条家の岩殿城(甲斐)へ攻め込み(兵0←兵17)、強襲(x2)により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・北条家の下山城(甲斐)へ攻め込み(兵0←兵34)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・山内上杉家の厩橋城(上野)へ攻め込み(兵20←兵33)、包囲・強襲・包囲により落 城させる。  落城の折に、山内上杉憲政、赤井照景らが切腹。小幡憲重が降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵5の損害を出す。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵54←兵1)、即退去する。 ・今川家に下山城(甲斐)を攻められる(兵30→兵33)も野戦にて迎撃する。 1555年冬 *東北に大雪が降る。 ・海津城(北信濃)に須田満親が登場、家臣に加える。 *山内上杉家は、長尾景長が継ぐ。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で95雇える)。  小山田信有に兵5を割り振る(兵9)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で88雇える)。  飯富虎昌に兵3を割り振る(兵10)。  高梨政頼に兵1を割り振る(兵15)。  馬場信春に兵1を割り振る(兵5)。  内藤昌豊に兵2を割り振る(兵6)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で79雇える)。  山本勘助に兵4を割り振る(兵20)。 ・山本勘助を飯山城(北信濃)から岩殿城(甲斐)へ移動する。 ・甲斐で楽市楽座を行い、町の規模が6.8(住民感情が4)上がる。 ・厩橋城(上野)城の普請を行い、城郭規模が4→7になる。 ・今川家の興津城(駿河)へ攻め込み(兵0←兵30)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・長尾家の金山城(上野)へ攻め込み(兵1←兵22)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・北条家の津久井城(相模)へ攻め込み(兵0←兵20)、包囲(x2)により落城させる。  今川家の部隊が深沢城(駿河)に集結して、北条家の小田原城(相模)に攻撃を仕掛 けている。  この隙に興津城(駿河)を押さえ、北条家の退路を絶って駿府・花沢城も落とせれば 、今川家を滅ぼすのも容易だろう。 ------------------------------------------------------------------------------ 1556年春 *北陸地方に大雪が降る。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で113雇える)。  飯富虎昌に兵4を割り振る(兵14)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で108雇える)。  須田満親に兵2を割り振る(兵7)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で105雇える)。  小山田信有に兵4を割り振る(兵13)。 ・厩橋城(上野)城の普請を行い、城郭規模が7→10になる。 ・飯富虎昌を岩殿城(甲斐)から津久井城(相模)へ移動する。 ・佐竹家(当主・佐竹義昭)に使者を送り、同盟交渉が成功する。  長尾家(前・山内上杉家)を滅ぼし、今川家と北条家との戦いの後、台頭しつつある 織田家との戦いに備えての同盟。  信濃・上野の北側は、上杉家との同盟が保たれている限り安全だろう。 ・今川家に興津城(駿河)を攻められる(兵27→兵28)も野戦にて迎撃する。 ・長尾家の館林城(上野)へ攻め込み(兵1←兵22)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 1556年夏 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で118雇える)。  須田満親に兵6を割り振る(兵13)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で110雇える)。  小山田信有に兵4を割り振る(兵17)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で105雇える)。  内藤昌豊に兵6を割り振る(兵12)。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で97雇える)。  楽岩寺光氏に兵3を割り振る(兵8)。 ・斎藤家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・飯富虎昌、山本勘助らを津久井城(相模)から興津城(駿河)へ移動する。 ・楽岩寺光氏、屋代政国、沢渡盛方らを館林城(上野)から津久井城(相模)へ移動する。 ・小山田信有を福島城(南信濃)から興津城(駿河)へ移動する。 ・甲斐で楽市楽座を行い、町の規模が5.5(住民感情が5)上がる。 ・今川家の深沢城(駿河)へ攻め込み(兵0←兵45)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。  落城の折に、天野景貫が降伏。鵜殿長照、朝比奈信置、今川義元、今川氏豊、蒲原氏 徳らが切腹する。  攻城戦の際に、強襲により兵4の損害を出す。 ・今川家の駿府城(駿河)へ攻め込み(兵0←兵14)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・北条家の玉縄城(相模)へ攻め込み(兵0←兵23)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 1556年秋 ・東北、関東、東海、甲信、近畿、山陰、山陽地方が豊作になる。 ☆大名家レベルが戦国大名へ格上げとなる。 ・津久井城(相模)に清水康英が登場、家臣に加える。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で138雇える)。  須田満親に兵3を割り振る(兵16)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で134雇える)。  真田幸隆に兵3を割り振る(兵4)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で130雇える)。  内藤昌豊に兵7を割り振る(兵19)。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で121雇える)。  長野業正に兵5を割り振る(兵6)。 ・駿河で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で115雇える)。  村上義清に兵4を割り振る(兵17)。 ・飯富虎昌、小山田信有、高梨政頼らを深沢城(駿河)から玉縄城(相模)へ移動する。 ・山本勘助を興津城(駿河)から津久井城(相模)へ移動する。 ・内藤昌豊、諏訪頼忠らを岩殿城(甲斐)から津久井城(相模)へ移動する。 ・穴山信友を飯山城(北信濃)から飯田城(南信濃)へ移動する。 ・織田家の二俣城(遠江)へ攻め込み(兵60←兵1)、即退去する。 ・今川家の花沢城(駿河)へ攻め込み(兵0←兵17)、強襲により落城させる。 ・北条家の三崎城(相模)へ攻め込み(兵0←兵20)、強襲により落城させる。 ・北条家の滝山城(武蔵)へ攻め込み(兵0←兵20)、包囲(x3)により落城させる。 ・北条家の小田原城(相模)へ攻め込み(兵0←兵32)、包囲(x2)により落城させる。 ・北条家に玉縄城(相模)を攻められる(兵61→兵41)も野戦にて迎撃する。 ・織田家に花沢城(駿河)を攻められる(兵40→兵20)も野戦にて迎撃する。 1557年冬 ・深沢城(駿河)に大原資良が登場、家臣に加える。 ・韮崎城(甲斐)に秋山信友が登場、家臣に加える。 ・韮崎城(甲斐)に高坂昌信が登場、家臣に加える。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で155雇える)。  須田満親に兵7を割り振る(兵23)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で146雇える)。  真田幸隆に兵4を割り振る(兵7)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で141雇える)。  馬場信春に兵3を割り振る(兵8)。 ・駿河で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で137雇える)。  村上義清に兵5を割り振る(兵20)。 ・相模で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で131雇える)。  内藤昌豊に兵1を割り振る(兵20)。  飯富虎昌に兵2を割り振る(兵15)。 ・飯富虎昌、小山田信有、高梨政頼らを玉縄城(相模)から花沢城(駿河)へ移動する。 ・須田満親を海津城(北信濃)から飯田城(南信濃)へ移動する。 ・村上義清を花沢城(駿河)から飯田城(南信濃)へ移動する。 ・屋代政国、沢渡盛方らを三崎城(相模)から滝山城(武蔵)へ移動する。 ・馬場信春を下山城(甲斐)から飯山城(北信濃)へ移動する。 ・北条家に滝山城(武蔵)を攻められる(兵24→兵33)も野戦にて迎撃する。 ・織田家に飯田城(南信濃)を攻められる(兵60→兵44)も野戦にて迎撃する。 ・織田家に花沢城(駿河)を攻められる(兵60→兵41)も野戦にて迎撃する。 *扇谷上杉家が北条家の河越城(武蔵)へ攻め込むが、北条家は城を守りきる。  この合戦にて、北条家の当主・北条氏康が討ち死にする。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵80←兵1)、即退去する。  いつまでこの手段で斎藤家の侵略を阻止できるのか?(汗) ・北条家の韮山城(相模)へ攻め込み(兵0←兵33)、包囲(x3)する(城郭10→8)。 ------------------------------------------------------------------------------ ############################################################################### ●2008-08-23 (4日目・7年目) ############################################################################### 1557年春 *北陸地方に大雪が降る。 ・深沢城(駿河)に庵原将監が登場、家臣に加える。  能力がパッとしないが、武将の頭数が足りてない序盤は”来るもの拒まず”だ。  求人募集中「求む!軍事・政治ともに有能な(太田資正のような)人材!!」 ・相木昌朝が病のため死亡した為、相木綱成(北条綱成の生まれ変わり)が代わりに兵 を引き継ぐ。  無能武将がまさかの大変身!?できれば政治能力がもう少し高ければ・・って贅沢言 い過ぎ? *北条家は、北条綱成が継ぐ。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で129雇える)。  馬場信春に兵4を割り振る(兵12)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が2集まる(現状で当家の規模で124雇える)。  真田幸隆に兵2を割り振る(兵10)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で121雇える)。  秋山信友に兵7を割り振る(兵12)。 ・駿河で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で112雇える)。  高梨政頼に兵4を割り振る(兵15)。  飯富虎昌に兵1を割り振る(兵16)。 ・相模で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で106雇える)。  楽岩寺光氏に兵3を割り振る(兵9)。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で102雇える)。  長野業正に兵3を割り振る(兵9)。 ・厩橋城(上野)城の普請を行い、城郭規模が10→13になる。 ・北信濃で治水開墾を行い、石高が65千石(住民感情が18)上がる。 ・駿河で楽市楽座を行い、町の規模が5.9(住民感情が2)上がる。 ・南信濃で楽市楽座を行い、町の規模が2.5(住民感情が1)上がる。 *織田家が斎藤家との同盟を破棄する。 ・織田家の掛川城(遠江)へ攻め込み(兵98←兵47)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。 ・織田家の二俣城(遠江)へ攻め込み(兵55←兵43)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。  野戦の際に、織田家の久野宗能が討ち死に。 ・北条家の江戸城(武蔵)へ攻め込み(兵21←兵33)、野戦に勝利した後、包囲(x3) する(城郭14→12)。 ・北条家の韮山城(相模)へ攻め込み(兵0←兵33)、包囲(x3)により落城させる。 1557年夏 ・深志城(南信濃)に二木重吉が登場、家臣に加える。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で182雇える)。  長野業正に兵6を割り振る(兵15)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で174雇える)。  馬場信春に兵10を割り振る(兵22)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で161雇える)。  秋山信友に兵5を割り振る(兵17)。 ・相模で兵の募集を行い、応募兵が3集まる(現状で当家の規模で155雇える)。  楽岩寺光氏に兵3を割り振る(兵12)。 ・楽岩寺光氏を三崎城(相模)から二俣城(遠江)へ移動する。 ・内藤昌豊、諏訪頼忠、清水康英らを韮山城(相模)から玉縄城(相模)へ移動する。 *上杉家が当家との同盟を破棄する。  北条家と扇谷上杉家、織田家との戦いに集中したい時になんてことだ!?  上杉家の主力は出羽攻めの最中のようなので、直ぐに当家の城に侵略してくる気配は 無い様だが、それなら何故同盟を破棄?? ・上杉家の沼田城(上野)へ攻め込み(兵37←兵21)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲(x2)により落城させる。 ・織田家の高天神城(遠江)へ攻め込み(兵50←兵47)、野戦に勝利した後、強襲によ り落城させる。  落城の折に、織田信光が切腹。佐久間信盛、織田信友、織田信広らが降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・織田家の浜松城(遠江)へ攻め込み(兵91←兵55)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・北条家の江戸城(武蔵)へ攻め込み(兵1←兵66)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、笠原康勝が切腹する。 1557年秋 *斎藤道三が病のため死亡。斎藤家は、斎藤義龍が継ぐ。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で238雇える)。  長野業正に兵7を割り振る(兵22)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で229雇える)。  馬場信春に兵6を割り振る(兵22)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で221雇える)。  秋山信友に兵5を割り振る(兵22)。 ・遠江で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で214雇える)。  村上義清に兵1を割り振る(兵20)。  飯富虎昌に兵4を割り振る(兵20)。  高梨政頼に兵1を割り振る(兵15)。 ・屋代政国に俸禄を与える(俸禄5,忠誠4→俸禄7,忠誠7)。 ・飯富虎昌に俸禄を与える(俸禄9,忠誠4→俸禄11,忠誠7)。 ・馬場信春を飯山城(北信濃)から金山城(上野)へ移動する。 ・二木重吉を深志城(南信濃)から飯田城(南信濃)へ移動する。 ・飯富虎昌、小山田信有、高梨政頼らを高天神城(遠江)から滝山城(武蔵)へ移動する。 ・諏訪頼忠、沢渡盛方らを江戸城(武蔵)から飯山城(北信濃)へ移動する。 ・秋山信友を岩殿城(甲斐)から江戸城(武蔵)へ移動する。 ・北条家の河越城(武蔵)へ攻め込み(兵21←兵51)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、大道寺盛昌が降伏。遠山綱景、内藤大和守、北条綱成、富永直勝、北条 氏繁らが切腹する。 ・独立勢力の鉢形城(武蔵)へ攻め込み(兵14←兵28)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、藤田康邦が降伏する。 ・織田家の吉田城(三河)へ攻め込み(兵0←兵12)、強襲により落城させる。 ・扇谷上杉家の岩付城(武蔵)へ攻め込み(兵11←兵82)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、太田輝資が降伏する。 ・織田家の野田城(三河)へ攻め込み(兵0←兵23)、包囲により落城させる。 ・織田家の長篠城(三河)へ攻め込み(兵0←兵10)、強襲により落城させる。 ############################################################################### ●2008-08-24 (5日目・7年目) ############################################################################### 1557年冬 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で293雇える)。  長野業正に兵8を割り振る(兵30)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で282雇える)。  高坂昌信に兵7を割り振る(兵12)。 ・遠江で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で274雇える)。  村上義清に兵7を割り振る(兵27)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で265雇える)。  小山田信有に兵4を割り振る(兵20)。  馬場信春に兵2を割り振る(兵30)。 ・南信濃で治水開墾を行い、石高が63千石(住民感情が8)上がる。 ・遠江で楽市楽座を行い、町の規模が3.0(住民感情が3)上がる。 ・遠江で治水開墾を行い、石高が44千石(住民感情が8)上がる。 *上杉家が北畠家と同盟を結ぶ。 ・扇谷上杉家の松山城(武蔵)へ攻め込み(兵27←兵85)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、扇谷上杉憲賢が切腹。太田資正が降伏する。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵3←兵1)、即退去する。 ・織田家の岡崎城(三河)へ攻め込み(兵26←兵35)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・独立勢力の忍城(武蔵)へ攻め込み(兵12←兵30)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、成田長泰が切腹する。 ------------------------------------------------------------------------------ 1558年春 *北陸地方に大雪がふる。 ・津久井城(相模)に芳賀康忠が登場、家臣に加える。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で380雇える)。  相木綱成に兵8を割り振る(兵9)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で369雇える)。  諏訪頼忠に兵12を割り振る(兵15)。 ・南信濃で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で354雇える)。  真田幸隆に兵6を割り振る(兵16)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で346雇える)。  高坂昌信に兵6を割り振る(兵18)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で339雇える)。  須田満親に兵3を割り振る(兵25)。  楽岩寺光氏に兵2を割り振る(兵13)。 ・遠江で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で333雇える)。  村上義清に兵10を割り振る(兵37)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で320雇える)。  飯富虎昌に兵5を割り振る(兵25)。  秋山信友に兵3を割り振る(兵25)。 ・飯富虎昌、馬場信春、小山田信有、高梨政頼らを松山城(武蔵)から岡崎城(三河) へ移動する。 ・村上義清を浜松城(遠江)から福島城(南信濃)へ移動する。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が58千石(住民感情が11)上がる。 ・織田家の守山城(尾張)へ攻め込み(兵75←兵100)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・斎藤家の岩村城(美濃)へ攻め込み(兵15←兵53)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・織田家の刈谷城(三河)へ攻め込み(兵0←兵28)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 1558年夏 ・尾張国で一揆が発生する。 ・朝廷から勅使が訪れ、美濃守護の官位を賜る。 ・掛川城(遠江)に朝比奈泰朝が登場、家臣に加えず。 ・府中城(甲斐)に山県昌景が登場、家臣に加える。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が18集まる(現状で当家の規模で396雇える)。  山本勘助に兵5を割り振る(兵25)。  屋代政国に兵10を割り振る(兵20)。  太田資正に兵3を割り振る(兵4)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で373雇える)。  楽岩寺光氏に兵5を割り振る(兵17)。  高梨政頼に兵1を割り振る(兵15)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で365雇える)。  高坂昌信に兵4を割り振る(兵22)。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が4集まる(現状で当家の規模で360雇える)。  相木綱成に兵4を割り振る(兵13)。 ・馬場信春に俸禄を与える(俸禄12,忠誠5→俸禄15,忠誠8)。 ・鉄砲の入手を行う。  入手した鉄砲1を山本勘助に割り振る(鉄1)。 *上杉家と佐竹家が同盟を結ぶ。 ・屋代政国、山本勘助らを忍城(武蔵)から守山城(尾張)へ移動する。 ・斎藤家に岩村城(美濃)を攻められる(兵38→兵51)も野戦にて迎撃する。 ・織田家の那古野城(尾張)へ攻め込み(兵32←兵69)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。 ・織田家の清洲城(尾張)へ攻め込み(兵40←兵50)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・織田家の鳴海城(尾張)へ攻め込み(兵20←兵15)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。  落城の折に、織田信長が切腹。酒井忠次、平手氏貞らが降伏する。 ・織田家の犬山城(尾張)へ攻め込み(兵15←兵25)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、森可成が切腹する。 1558年秋 ・東北、関東、甲信、近畿、山陰、山陽、四国、九州地方が豊作になる。 *織田家は、織田信行が継ぐ。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で443雇える)。  相木綱成に兵7を割り振る(兵20)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が25集まる(現状で当家の規模で434雇える)。  内藤昌豊に兵20を割り振る(兵40)。  秋山信友に兵5を割り振る(兵30)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で402雇える)。  楽岩寺光氏に兵8を割り振る(兵25)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で392雇える)。  高坂昌信に兵5を割り振る(兵27)。 ・北信濃で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で386雇える)。  諏訪頼忠に兵11を割り振る(兵26)。 ・高坂昌信を韮崎城(甲斐)から犬山城(尾張)へ移動する。 ・飯富虎昌、屋代政国、須田満親らを那古野城(尾張)から犬山城(尾張)へ移動する。 ・高梨政頼、酒井忠次、平手氏貞らを鳴海城(尾張)から那古野城(尾張)へ移動する。 ・内藤昌豊を岩付城(武蔵)から飯山城(北信濃)へ移動する。 ・秋山信友を岩付城(武蔵)から沼田城(上野)へ移動する。 ・三河で楽市楽座を行い、町の規模が2.9(住民感情が5)上がる。 ・織田家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・斎藤家に岩村城(美濃)を攻められる(兵89→兵51)も野戦にて迎撃する。 ・織田家の岩倉城(尾張)へ攻め込み(兵40←兵44)、強襲により落城させる。  落城の折に、水野信元、林通勝、織田信行、佐久間盛重らが切腹。滝川一益、柴田勝 家らが降伏する。 ・斎藤家の墨俣城(美濃)へ攻め込み(兵11←兵30)、包囲(x3)により落城させる。 ・織田家の長島城(尾張)へ攻め込み(兵0←兵14)、強襲により落城させる。 ・織田家の稲葉山城(美濃)へ攻め込み(兵45←兵97)、包囲・強襲・包囲により落城 させる。  落城の折に、遠山景任が切腹する。  攻城戦の際に、強襲により兵6の損害を出す。 ・上杉家の春日山城(越後)へ攻め込み(兵17←兵56)、敵が退去した城を包囲(x3) により落城させる。 ・上杉家の坂戸城(越後)へ攻め込み(兵15←兵30)、包囲(x3)する(城郭7→4)。 ############################################################################### ●2008-08-25 (6日目・8年目) ############################################################################### 1558年冬 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が8集まる(現状で当家の規模で489雇える)。  長野業正に兵8を割り振る(兵38)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が20集まる(現状で当家の規模で479雇える)。  清水康英に兵20を割り振る(兵30)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が16集まる(現状で当家の規模で454雇える)。  楽岩寺光氏に兵6を割り振る(兵31)。  二木重吉に兵10を割り振る(兵20)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で434雇える)。  飯富虎昌に兵6を割り振る(兵30)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で426雇える)。  山本勘助に兵2を割り振る(兵25)。  屋代政国に兵2を割り振る(兵20)。  須田満親に兵1を割り振る(兵25)。  真田幸隆に兵5を割り振る(兵20)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で415雇える)。  山県昌景に兵7を割り振る(兵12)。 ・山本勘助に俸禄を与える(俸禄10,忠誠5→俸禄13,忠誠8)。 ・真田幸隆に俸禄を与える(俸禄10,忠誠5→俸禄13,忠誠8)。 ・滝川一益に俸禄を与える(俸禄9,忠誠5→俸禄12,忠誠8)。 ・上杉家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・楽岩寺光氏を刈谷城(三河)から墨俣城(美濃)へ移動する。 ・穴山信友を飯田城(南信濃)から長篠城(三河)へ移動する。 ・北畠家の桑名城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵30)、包囲(x2)により落城させる。 ・斎藤家の鷲山城(美濃)へ攻め込み(兵66←兵81)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。  落城の折に、赤尾清冬、磯野員昌、長井道利、斎藤義龍らが切腹。稲葉良通、不破光 治らが降伏する。 ・斎藤家の大垣城(美濃)へ攻め込み(兵0←兵31)、強襲により落城させる。 ・斎藤家の北方城(美濃)へ攻め込み(兵18←兵71)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ------------------------------------------------------------------------------ 1559年春 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・松井田城(上野)に金井秀景が登場、家臣に加えず。 ・犬山城(尾張)に平手汎秀が登場、家臣に加えず。 ・犬山城(尾張)に丹羽長秀が登場、家臣に加える。 ・鷲山城(美濃)に坂井政尚が登場、家臣に加えず。 *斎藤家は、斎藤長龍が継ぐ。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が9集まる(現状で当家の規模で477雇える)。  飯富虎昌に兵5を割り振る(兵35)。  小山田信有に兵4を割り振る(兵24)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が15集まる(現状で当家の規模で466雇える)。  村上義清に兵4を割り振る(兵40)。  真田幸隆に兵5を割り振る(兵25)。  楽岩寺光氏に兵4を割り振る(兵35)。  屋代政国に兵2を割り振る(兵21)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が6集まる(現状で当家の規模で447雇える)。  山県昌景に兵6を割り振る(兵18)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が19集まる(現状で当家の規模で440雇える)。  太田輝資に兵19を割り振る(兵20)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が15集まる(現状で当家の規模で416雇える)。  二木重吉に兵5を割り振る(兵25)。  穴山信友に兵10を割り振る(兵11)。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で397雇える)。  長野業正に兵2を割り振る(兵40)。  相木綱成に兵5を割り振る(兵25)。 ・伊達家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・屋代政国、山本勘助、高坂昌信らを北方城(美濃)から桑名城(伊勢)へ移動する。 ・村上義清、真田幸隆、須田満親らを鷲山城(美濃)から大垣城(美濃)へ移動する。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が48千石(住民感情が5)上がる。 ・長野業正、秋山信友らを沼田城(上野)から桑名城(伊勢)へ移動する。 ・北畠家の安濃津城(伊勢)へ攻め込み(兵49←兵105)、敵が退去した城を強襲によ り落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・上杉家の佐和山城(北近江)へ攻め込み(兵36←兵40)、野戦に勝利した後、敵が退 去した城を包囲により落城させる。 ・上杉家の小谷城(北近江)へ攻め込み(兵50←兵60)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を包囲により落城させる。 ・斎藤家の曽根城(美濃)へ攻め込み(兵21←兵25)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。  落城の折に、斎藤長龍、青地茂綱、細川氏綱らが切腹。赤尾清綱、阿閉貞往、安藤守 就らが降伏する。 ・北畠家の亀山城(伊勢)へ攻め込み(兵30←兵51)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・北畠家の観音寺城(南近江)へ攻め込み(兵0←兵30)、包囲により落城させる。 1559年夏 ・朝廷から勅使が訪れ、近江守護の官位を賜る。 ・野田城(三河)に大久保忠世が登場、家臣に加えず。 ・曽根城(美濃)に遠山景行が登場、家臣に加えず。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が7集まる(現状で当家の規模で480雇える)。  相木綱成に兵7を割り振る(兵32)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が19集まる(現状で当家の規模で471雇える)。  太田輝資に兵15を割り振る(兵35)。  清水康英に兵4を割り振る(兵34)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で448雇える)。  小山田信有に兵11を割り振る(兵35)。  高梨政頼に兵1を割り振る(兵15)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が17集まる(現状で当家の規模で433雇える)。  真田幸隆に兵5を割り振る(兵30)。  稲葉良通に兵12を割り振る(兵13)。 ・飯富虎昌、小山田信有らを岩倉城(尾張)から観音寺城(南近江)へ移動する。 ・真田幸隆を曽根城(美濃)から沼田城(上野)へ移動する。 ・清水康英、太田輝資らを岩付城(武蔵)から春日山城(越後)へ移動する。 ・山県昌景を府中城(甲斐)から松山城(武蔵)へ移動する。 ・武蔵で楽市楽座を行い、町の規模が9.8(住民感情が2)上がる。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が37千石(住民感情が9)上がる。 ・北畠家の日野城(南近江)へ攻め込み(兵0←兵35)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・北畠家の松坂城(伊勢)へ攻め込み(兵50←兵49)、野戦に勝利した後、包囲(x2) により落城させる。  落城の折に、北畠晴具が切腹する。 ・北畠家の長光寺城(伊勢)へ攻め込み(兵50←兵65)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・上杉家の坂戸城(越後)へ攻め込み(兵0←兵56)、包囲(x2)により落城させる。 ・北畠家の水口城(南近江)へ攻め込み(兵50←兵24)、野戦に勝利した後、包囲によ り落城させる。  落城の折に、北畠具教が切腹する。 ・上杉家の与板城(越後)へ攻め込み(兵30←兵40)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲(x2)により落城させる。 ・上杉家の栃尾城(越後)へ攻め込み(兵37←兵69)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  落城の折に、河田長親、神保周防守、上山満兼らが敗走に失敗する。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・上杉家に佐和山城(北近江)を攻められる(兵40→兵40)も野戦にて迎撃する。  村上義清を相手に宇佐美景綱、松本景繁らの二人だけで攻めて来たので、徹底的(敵 兵残数4)に叩きのめした。  上杉謙信や柿崎景家らの部隊だったら、兵数も多い上に軍事能力も高いので、逆に窮 地に追い込まれていたかも知れない。 ############################################################################### ●2008-08-26 (7日目・9年目) ############################################################################### 1559年秋 ・甲信、山陽、九州地方が豊作になる。 ・府中城(甲斐)に板垣信憲が登場、家臣に加える。 ・上原城(南信濃)に青柳頼長が登場、家臣に加えず。 *北畠家は、木造具政が継ぐ。  木造家は、上杉家との同盟を破棄する。 *細川家は、荒木村重が継ぐ。 ・上野で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で531雇える)。  相木綱成に兵5を割り振る(兵37)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が19集まる(現状で当家の規模で524雇える)。  山県昌景に兵19を割り振る(兵37)。 ・三河で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で551雇える)。  穴山信友に兵13を割り振る(兵24)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で534雇える)。  高梨政頼に兵13を割り振る(兵28)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で518雇える)。  稲葉良通に兵12を割り振る(兵25)。 ・穴山信友に俸禄を与える(俸禄8,忠誠4→俸禄10,忠誠7)。 *木造家が三好家と同盟を結ぶ。 ・真田幸隆、諏訪頼忠らを坂戸城(越後)から春日山城(越後)へ移動する。 ・山本勘助、高坂昌信らを水口城(南近江)から鷲山城(美濃)へ移動する。 ・飯富虎昌を日野城(南近江)から佐和山城(北近江)へ移動する。 ・長野業正を安濃津城(伊勢)から与板城(越後)へ移動する。 ・上杉家の新発田城(越後)へ攻め込み(兵116←兵146)、野戦に勝利した後、敵が退 去した城を強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。  上杉謙信、柿崎景家らの上杉家の主力部隊と激突するも、個々の部隊の兵力で勝る当 家の圧勝に終わる。 ・木造家の安土城(南近江)へ攻め込み(兵0←兵34)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・木造家の瀬多城(南近江)へ攻め込み(兵10←兵63)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・上杉家の長浜城(北近江)へ攻め込み(兵56←兵64)、野戦に勝利した後、包囲(x2 )により落城させる。  野戦の際に、上杉家の色部顕長が討ち死に。 ・木造家の鳥羽城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵20)、強襲により落城させる。 ・上杉家の魚津城(越中)へ攻め込み(兵34←兵56)、野戦に勝利した後、強襲により 落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・上杉家の大野城(越前)へ攻め込み(兵55←兵75)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 1559年冬 *北陸地方に大雪が降る。 ・駿府城(駿河)に三浦義就が登場、家臣に加えず。 ・二俣城(遠江)に井伊直親が登場、家臣に加えず。 ・安土城(南近江)に蒲生賢秀が登場、家臣に加えず。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で606雇える)。  山県昌景に兵12を割り振る(兵49)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で591雇える)。  高梨政頼に兵2を割り振る(兵30)。  滝川一益に兵4を割り振る(兵5)。  柴田勝家に兵6を割り振る(兵7)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が16集まる(現状で当家の規模で576雇える)。  不破光治に兵16を割り振る(兵17)。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が40千石(住民感情が8)上がる。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が56千石(住民感情が7)上がる。 ・天野景貫、大原資良、庵原将鑑らを深沢城(駿河)から鳥羽城(伊勢)へ移動する。 ・山県昌景を松山城(武蔵)から小谷城(北近江)へ移動する。 ・穴山信友、二木重吉らを長篠城(三河)から長浜城(北近江)へ移動する。 ・上杉家の鳥坂城(越後)へ攻め込み(兵50←兵78)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。 ・木造家の坂本城(南近江)へ攻め込み(兵40←兵57)、強襲により落城させる。  落城の折に、木造具政、神戸具盛、金森長近らが切腹。九鬼浄隆が降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・三好家の二条城(山城)へ攻め込み(兵60←兵62)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・上杉家の大溝城(北近江)へ攻め込み(兵5←兵40)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・木造家の大河内城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵11)、強襲(x3)する(城郭7→5)。  攻城戦の際に、天野景貫が討ち死に。  武将数が制限数ギリギリなので、用済み武将のリストラを始める。 ・上杉家の富山城(越中)へ攻め込み(兵88←兵55)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を強襲により落城させる。 ・上杉家の一乗谷城(越前)へ攻め込み(兵19←兵24)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、朝倉景紀が切腹。吉江綱景が降伏する。 ・上杉家の金ヶ崎城(越前)へ攻め込み(兵8←兵24)、敵が退去した城を包囲(x2) により落城させる。 ・上杉家の今庄城(越前)へ攻め込み(兵8←兵49)、敵が退去した城を包囲(x2)に より落城させる。 ------------------------------------------------------------------------------ 1560年春 *北陸地方に大雪が降る。 ・加賀、越前で一向一揆が発生する。 ・興津城(駿河)に由比正純が登場、家臣に加えず。 ・岩倉城(尾張)に池田恒興が登場、家臣に加えず。 ・北方城(美濃)に斎藤利三が登場、家臣に加えず。 ・深志城(南信濃)に青柳頼長が登場、家臣に加えず。 *木造家が三好家との同盟を破棄する。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が19集まる(現状で当家の規模で650雇える)。  太田資正に兵19を割り振る(兵23)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で626雇える)。  滝川一益に兵5を割り振る(兵10)。  柴田勝家に兵7を割り振る(兵14)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が9集まる(現状で当家の規模で611雇える)。  不破光治に兵9を割り振る(兵26)。 ・南近江で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で600雇える)。  飯富虎昌に兵8を割り振る(兵40)。  穴山信友に兵3を割り振る(兵26)。 ・越後で兵の募集を行い、応募兵が15集まる(現状で当家の規模で587雇える)。  長野業正に兵5を割り振る(兵50)。  太田輝資に兵2を割り振る(兵35)。  清水康英に兵1を割り振る(兵34)。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が41千石(住民感情が11)上がる。 ・村上義清を大溝城(北近江)から二条城(山城)へ移動する。 ・飯富虎昌、穴山信友らを坂本城(南近江)から二条城(山城)へ移動する。 ・相木綱成を松井田城(上野)から二条城(山城)へ移動する。 ・高梨政頼を長島城(尾張)から亀山城(伊勢)へ移動する。 ・三好家の勝龍寺城(山城)へ攻め込み(兵40←兵66)、包囲(x3)により落城させる。 ・三好家の槙島城(山城)へ攻め込み(兵93←兵71)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。 ・三好家の多聞山城(大和)へ攻め込み(兵57←兵30)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を包囲により落城させる。  野戦の際に、三好家の赤井家清が討ち死に。 ・三好家の亀山城(丹波)へ攻め込み(兵68←兵66)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。 ・木造家の大河内城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵4)、強襲して全滅する(城郭5→4)。  攻城戦の際に、大原資良、庵原将鑑らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・三好家の比叡山城(山城)へ攻め込み(兵0←兵1)、強襲により落城させる。 1560年夏 ・鳥坂城(越後)に山吉豊守が登場、家臣に加えず。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が19集まる(現状で当家の規模で662雇える)。  滝川一益に兵10を割り振る(兵20)。  柴田勝家に兵9を割り振る(兵23)。 ・美濃で兵の募集を行い、応募兵が18集まる(現状で当家の規模で638雇える)。  不破光治に兵18を割り振る(兵44)。 ・伊勢で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で616雇える)。  馬場信春に兵11を割り振る(兵40)。 ・北近江で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で603雇える)。  楽岩寺光氏に兵11を割り振る(兵46)。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  秋山信友に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・山県昌景を今庄城(越前)から亀山城(丹波)へ移動する。 ・不破光治を鷲山城(美濃)から亀山城(丹波)へ移動する。 ・楽岩寺光氏を小谷城(北近江)から多聞山城(大和)へ移動する。 ・小山田信有、村上義清を槙島城(山城)から亀山城(丹波)へ移動する。 ・上杉家の米沢城(出羽)へ攻め込み(兵32←兵50)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  落城の折に、本庄繁長が敗走に失敗する。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・三好家の若江城(河内)へ攻め込み(兵37←兵66)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・三好家の福知山城(丹波)へ攻め込み(兵29←兵71)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・三好家の信貴山城(大和)へ攻め込み(兵0←兵46)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・三好家の郡山城(大和)へ攻め込み(兵0←兵30)、強襲により落城させる。 ・三好家の八上城(丹波)へ攻め込み(兵135←兵159)、包囲により落城させる。  落城の折に、赤井直正、鈴木佐大夫らが降伏。三好政康、安宅冬康、十河一存、雨森 直次らが切腹する。 ・上杉家の府中城(越前)へ攻め込み(兵38←兵25)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。  野戦の際に、中条弾正忠が討ち死に。 ・上杉家の府中城(越中)へ攻め込み(兵38←兵55)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。 ・上杉家の村上城(越後)へ攻め込み(兵5←兵40)、敵が退去した城を包囲(x2)に より落城させる。 ・葦名家の会津城(南陸奥)へ攻め込み(兵5←兵69)、敵が退去した城を包囲(x2) により落城させる。 ############################################################################### ●2008-08-27 (8日目・10年目) ############################################################################### 1560年秋 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が24集まる(現状で当家の規模で731雇える)。  太田資正に兵24を割り振る(兵47)。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が12集まる(現状で当家の規模で701雇える)。  滝川一益に兵5を割り振る(兵25)。  柴田勝家に兵7を割り振る(兵30)。 ・伊勢で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で686雇える)。  馬場信春に兵10を割り振る(兵50)。  屋代政国に兵2を割り振る(兵22)。 ・太田輝資に俸禄を与える(俸禄7,忠誠4→俸禄9,忠誠7)。 ・太田資正に俸禄を与える(俸禄10,忠誠6→俸禄13,忠誠9)。 ・柴田勝家に俸禄を与える(俸禄8,忠誠5→俸禄11,忠誠8)。 ・相木綱成、秋山信友、不破光治らを八上城(丹波)から若江城(河内)へ移動する。 ・馬場信春を松坂城(伊勢)から若江城(河内)へ移動する。 ・高坂昌信、稲葉良通らを大野城(越前)から郡山城(大和)へ移動する。 ・二木重吉を長浜城(北近江)から府中城(越前)へ移動する。 ・太田資正を松山城(武蔵)から村上城(越後)へ移動する。 *尼子家が毛利家と同盟を結ぶ。 ・上杉家に府中城(越前)を攻められる(兵40→兵50)も野戦にて迎撃する。 *伊達家が上杉家の山形城(出羽)へ攻め込み落城させる。  落城の折に、長尾景直が敗走に失敗する。 ・伊達家の山形城(出羽)へ攻め込み(兵31←兵49)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・独立勢力の大坂城(摂津)へ攻め込み(兵9←兵200)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、一向一揆が鎮まる。 ・三好家の高屋城(河内)へ攻め込み(兵0←兵45)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・三好家の高取城(大和)へ攻め込み(兵49←兵81)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・上杉家の七尾城(能登)へ攻め込み(兵0←兵29)、包囲(x2)により落城させる。 ・上杉家の鶴岡城(出羽)へ攻め込み(兵41←兵87)、包囲(x3)により落城させる。  上杉謙信、柿崎景家、上杉景信らが逃げ延び。本庄秀綱が降伏。山名豊直、遊佐続光 らが切腹する。 ・上杉家の金沢城(加賀)へ攻め込み(兵0←兵26)、強襲により落城させる。 ・上杉家の小浜城(越前)へ攻め込み(兵5←兵24)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、新発田長敦、斎藤朝信、松本景繁、朝倉景連、印牧能信らが切腹する。 ・葦名家の二本松城(南陸奥)へ攻め込み(兵31←兵69)、包囲により落城させる。  落城の折に、葦名盛氏、佐瀬大和守、松本図書助らが切腹する。 ・独立勢力の有馬城(摂津)へ攻め込み(兵0←兵51)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、赤井直正、鈴木佐大夫らが討ち死に。  落城序に不要武将を削減できた。おかげで三人目の山県昌景の部隊は無傷。 1560年冬 *東北、北陸地方に大雪が降る。 ・伊勢で一向一揆が発生する。 ・二本松城(南陸奥)に平田駿河守が登場、家臣に加えず。 ・二本松城(南陸奥)に猪苗代盛国が登場、家臣に加えず。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が17集まる(現状で当家の規模で775雇える)。  滝川一益に兵10を割り振る(兵35)。  柴田勝家に兵7を割り振る(兵37)。 ・大和で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で754雇える)。  高坂昌信に兵6を割り振る(兵32)。  稲葉良通に兵5を割り振る(兵30)。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  馬場信春に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・穴山信友、相木綱成らを大坂城(摂津)から高屋城(河内)へ移動する。 ・不破光治を大坂城(摂津)から勝龍寺城(山城)へ移動する。 ・赤尾清綱、阿閉貞往らを曽根城(美濃)から鳥羽城(伊勢)へ移動する。 ・九鬼浄隆を比叡山城(山城)から鳥羽城(伊勢)へ移動する。 ・藤田康邦を鉢形城(武蔵)から鳥羽城(伊勢)へ移動する。 ・沢渡盛方を飯山城(北信濃)から鳥羽城(伊勢)へ移動する。 ・三好家の堺城(河内)へ攻め込み(兵56←兵69)、敵が退去した城を包囲により落城 させる。 ・荒木家の茨木城(摂津)へ攻め込み(兵14←兵50)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・三好家の岸和田城(河内)へ攻め込み(兵56←兵63)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を強襲により落城させる。 ・朝倉家の宮津城(丹後)へ攻め込み(兵4←兵31)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・浦上家の竹田城(但馬)へ攻め込み(兵49←兵39)、野戦に勝利した後、包囲(x3) により落城させる。 ・三好家の根来城(紀伊)へ攻め込み(兵17←兵43)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・三好家の高野山城(紀伊)へ攻め込み(兵0←兵39)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・木造家の大河内城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵4)、強襲して全滅する。  藤田康邦、赤尾清綱、阿閉貞往、九鬼浄隆らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・独立勢力の伊丹城(摂津)へ攻め込み(兵8←兵49)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、池田長正が降伏する。 ・荒木家の高槻城(摂津)へ攻め込み(兵19←兵44)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、荒木元清、荒木村重らが切腹。池田勝正が降伏する。 ・朝倉家に竹田城(但馬)を攻められる(兵36→兵39)も野戦にて迎撃する。  青木景康が討ち死に。 ------------------------------------------------------------------------------ 1561年春 *東北地方に大雪が降る。 ・野田城(三河)に石川数正が登場、家臣に加えず。 ・岩村城(美濃)に加藤光泰が登場、家臣に加えず。 ・岩殿城(甲斐)に真田信綱が登場、家臣に加えず。 ・尾張で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で884雇える)。  滝川一益に兵5を割り振る(兵40)。  柴田勝家に兵8を割り振る(兵45)。 ・越前で兵の募集を行い、応募兵が5集まる(現状で当家の規模で867雇える)。  山本勘助に兵4を割り振る(兵28)。  須田満親に兵1を割り振る(兵25)。 ・河内で兵の募集を行い、応募兵が9集まる(現状で当家の規模で861雇える)。  相木綱成に兵3を割り振る(兵40)。  飯富虎昌に兵5を割り振る(兵45)。  秋山信友に兵1を割り振る(兵30)。 ・大和で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で850雇える)。  高坂昌信に兵8を割り振る(兵40)。  稲葉良通に兵5を割り振る(兵35)。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が43千石(住民感情が8)上がる。 ・大和で楽市楽座を行い、町の規模が4.5(住民感情が4)上がる。 ・河内で楽市楽座を行い、町の規模が14.8(住民感情が5)上がる。 ・池田勝正を高槻城(摂津)から七尾城(能登)へ移動する。 ・池田長正を高槻城(摂津)から七尾城(能登)へ移動する。 ・馬場信春を茨木城(摂津)から有馬城(摂津)へ移動する。 ・上杉家に金沢城(加賀)を攻められる(兵37→兵26)も野戦にて迎撃する。 ・浦上家の三木城(播磨)へ攻め込み(兵0←兵50)、包囲により落城させる。 ・朝倉家の出石城(但馬)へ攻め込み(兵4←兵30)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・浦上家の置塩城(播磨)へ攻め込み(兵35←兵39)、包囲(x3)する(城郭10→7)。 ・三好家の雑賀城(紀伊)へ攻め込み(兵19←兵72)、強襲により落城させる。  落城の折に、三淵顕長、土橋守重、蘆田国住らが降伏。三好長慶、三雲定持らが切腹 する。  攻城戦の際に、強襲により兵5の損害を出す。 ・上杉家の北ノ庄城(越前)へ攻め込み(兵0←兵54)、包囲(x2)・強襲により落城 させる。  攻城戦の際に、吉江綱景が討ち死に。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。  落城序に不要武将を削減できた。 ・木造家の大河内城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵3)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、沢渡盛方が討ち死に。  不要武将の削減──。 ・朝倉家の田辺城(丹後)へ攻め込み(兵4←兵25)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、朝倉景綱が切腹する。 ・上杉家の穴水城(能登)へ攻め込み(兵0←兵2)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、池田長正、池田勝正らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・独立勢力の洲本城(阿波)へ攻め込み(兵5←兵30)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、安宅秀興が降伏する。 ・独立勢力の花隈城(摂津)へ攻め込み(兵10←兵49)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、明石祐行が切腹する。 1561年夏 ・東海、甲信地方に旱魃の被害が出る。 ・朝廷から勅使が訪れ、鎮守府将軍の官位を賜る。 ・越前で兵の募集を行い、応募兵が9集まる(現状で当家の規模で825雇える)。  山本勘助に兵9を割り振る(兵36)。 ・河内で兵の募集を行い、応募兵が14集まる(現状で当家の規模で814雇える)。  相木綱成に兵5を割り振る(兵45)。  穴山信友に兵9を割り振る(兵35)。 ・大和で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で797雇える)。  稲葉良通に兵7を割り振る(兵42)。  高坂昌信に兵3を割り振る(兵43)。 ・安宅秀興を洲本城(阿波)から七尾城(能登)へ移動する。 ・本庄秀綱を鶴岡城(出羽)から七尾城(能登)へ移動する。 ・三淵顕長、蘆田国住、土橋守重らを雑賀城(能登)から七尾城(能登)へ移動する。 ・滝川一益、柴田勝家らを岩倉城(尾張)から出石城(但馬)へ移動する。 ・太田資正を鶴岡城(出羽)から米沢城(出羽)へ移動する。 ・越前で治水開墾を行い、石高が60千石(住民感情が16)上がる。 ・河内で楽市楽座を行い、町の規模が11.7(住民感情が3)上がる。 ・伊達家の中新田城(北陸奥)へ攻め込み(兵25←兵49)、敵が退去した城を包囲によ り落城させる。 ・伊達家の桑折城(北陸奥)へ攻め込み(兵20←兵82)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・浦上家の姫路城(播磨)へ攻め込み(兵10←兵50)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・浦上家の置塩城(播磨)へ攻め込み(兵24←兵39)、包囲により落城させる。  落城の折に、浦上宗景、浦上国秀、上月陸奥守、浦上清宗らが切腹。赤松正澄、赤松 政直らが降伏する。 ・細川家の渭山城(阿波)へ攻め込み(兵15←兵67)、包囲により落城させる。  落城の折に、細川持隆、細川真之らが切腹する。 ・木造家の大河内城(伊勢)へ攻め込み(兵0←兵23)、強襲により落城させる。 ・上杉家の穴水城(能登)へ攻め込み(兵0←兵5)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、三淵顕長、蘆田国住、安宅秀興、本庄秀綱、土橋守重らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・毛利家の鳥取城(因幡)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・上杉家の城(出羽)へ攻め込み(兵13←兵40)、包囲・強襲により落城させる。  落城の折に、上杉謙信、上杉景信らが切腹。柿崎景家が降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・独立勢力の勝瑞城(阿波)へ攻め込み(兵5←兵30)、包囲により落城させる。  落城の折に、足利義維が降伏する。 ・浦上家の魚住城(播磨)へ攻め込み(兵15←兵49)、包囲により落城させる。  落城の折に、浦上政宗が切腹。黒田職高、別所長勝らが降伏する。 ・上杉家の小松城(加賀)へ攻め込み(兵32←兵26)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を強襲により落城させる。  野戦の折に、上杉家の前波吉継が討ち死に。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・上杉家の大聖寺城(加賀)へ攻め込み(兵15←兵25)、野戦に勝利した後、強襲によ り落城させる。  落城の折に、吉江景資、直江実綱らが切腹。長尾政景、北条高広、宇佐美景綱(片倉 景綱の生まれ変わり)らが降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。  上杉家の残る城は、無人の穴水城(能登)だけとなり、事実上の滅亡。  能登の国力は大したことないので、穴水城(能登)は不要武将の死に場所として暫く そのままにしておく。 ############################################################################### ●2008-08-28 (9日目・11年目) ############################################################################### 1561年秋 ・東北、北陸、山陽地方が凶作になる。 *上杉家が佐竹家との同盟を破棄する。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  穴山信友に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・飯富虎昌を堺城(河内)から会津城(南陸奥)へ移動する。 ・穴山信友、相木綱成らを岸和田城から会津城(南陸奥)へ移動する。 ・不破光治を高槻城(摂津)から中新田城(北陸奥)へ移動する。 ・稲葉良通、高坂昌信らを高取城(大和)から二本松城(南陸奥)へ移動する。 ・長尾政景、北条高広、宇佐美景綱らを大聖寺城(加賀)から江戸城(武蔵)へ移動する。 ・柿崎景家、内藤昌豊らを横手城(出羽)から江戸城(武蔵)へ移動する。 ・小山田信有、柴田勝家らを出石城(但馬)から館林城(下野)へ移動する。 ・赤松正澄、赤松政直らを置塩城(播磨)から中新田城(北陸奥)へ移動する。 *佐竹家が当家との同盟を破棄する。 ・長宗我部家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・佐竹家の小高城(南陸奥)へ攻め込み(兵30←兵93)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・伊達家の白石城(北陸奥)へ攻め込み(兵45←兵82)、包囲により落城させる。  落城の折に、伊達実元、鬼庭良通、氏家定直、桑折宗長、成沢道忠らが切腹する。 ・佐竹家の三春城(南陸奥)へ攻め込み(兵170←兵119)、野戦に勝利した後、敵が退 去した城を包囲により落城させる。  落城の折に、江戸忠通、佐竹義堅、江戸通政らが敗走に失敗する。 ・佐竹家の須賀川城(南陸奥)へ攻め込み(兵114←兵125)、野戦に勝利した後、敵が 退去した城を包囲により落城させる。  野戦の際に、佐竹家の大塚親成が討ち死に。 ・浦上家の室津城(播磨)へ攻め込み(兵0←兵50)、包囲により落城させる。 ・佐竹家の唐沢山城(下野)へ攻め込み(兵84←兵30)、野戦に勝利した後、包囲によ り落城させる。  野戦の折に、佐竹家の小山秀綱が討ち死に。  落城の折に、佐竹義重、大田原縄清、結城晴朝、佐竹義喬らが切腹する。 ・尼子家の上月城(播磨)へ攻め込み(兵12←兵39)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・長宗我部家の安芸城(土佐)へ攻め込み(兵0←兵67)、強襲により落城させる。 ・長宗我部家の十河城(讃岐)へ攻め込み(兵0←兵31)、包囲により落城させる。 ・毛利家の羽衣城(稲葉)へ攻め込み(兵39←兵40)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・佐竹家の小山城(下野)へ攻め込み(兵51←兵45)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・伊達家の岩手山城(北陸奥)へ攻め込み(兵0←兵2)、包囲(x2)により落城させる。 1561年冬 ・能登が飢饉になる。 ・東北地方に大雪が降る。 ・北陸奥、美作で鉱山が発見される。 ・南陸奥で兵の募集を行い、応募兵が16集まる(現状で当家の規模で1167雇える)。  長野業正に兵1を割り振る(兵50)。  飯富虎昌に兵5を割り振る(兵50)。  稲葉良通に兵3を割り振る(兵45)。  高坂昌信に兵3を割り振る(兵45)。  不破光治に兵1を割り振る(兵45)。  穴山信友に兵3を割り振る(兵37)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が39集まる(現状で当家の規模で1148雇える)。  内藤昌豊に兵3を割り振る(兵40)。  宇佐美景綱に兵24を割り振る(兵25)。  柿崎景家に兵12を割り振る(兵13)。 ・宇佐美景綱に俸禄を与える(俸禄10,忠誠4→俸禄12,忠誠7)。 ・長野業正に俸禄を与える(俸禄10,忠誠5→俸禄13,忠誠8)。 ・飯富虎昌に俸禄を与える(俸禄11,忠誠5→俸禄14,忠誠8)。 ・尼子家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・山県昌景を魚住城(播磨)から小山城(下野)へ移動する。 ・小山田信有を唐沢山城(下野)から小山城(下野)へ移動する。 ・諏訪頼忠を小松城(加賀)から室津城(備前)へ移動する。 ・二木重吉を大聖寺城(加賀)から室津城(備前)へ移動する。 ・山本勘助を北ノ庄城(越前)から小山城(下野)へ移動する。 ・須田満親を田辺城(丹後)から小山城(下野)へ移動する。 ・毛利家の砥石山城(備前)へ攻め込み(兵48←兵45)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を包囲により落城させる。  野戦の際に、毛利家の原田貞佐、村上武吉が討ち死に。 ・佐竹家の古河城(下総)へ攻め込み(兵0←兵30)、強襲により落城させる。 ・尼子家の三星城(美作)へ攻め込み(兵12←兵39)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・長宗我部家の岡豊城(土佐)へ攻め込み(兵0←兵67)、包囲により落城させる。 ・長宗我部家の多度津城(讃岐)へ攻め込み(兵4←兵31)、包囲により落城させる。  落城の折に、長宗我部国親、久武親信、谷忠澄、久武親直らが切腹する。  攻城戦の際に、足利義維が討ち死に。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。  落城序に不要武将を削減できた。 ・毛利家の富田城(出雲)へ攻め込み(兵0←兵40)、強襲により落城させる。 ・佐竹家の結城城(下総)へ攻め込み(兵90←兵130)、敵が退去した城を強襲により 落城させる。 ・佐竹家の国府台城(下総)へ攻め込み(兵14←兵40)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・毛利家の天神山城(備前)へ攻め込み(兵42←兵48)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を強襲により落城させる。  野戦の際に、毛利家の佐波隆秀が討ち死に。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・佐竹家の宇都宮城(下野)へ攻め込み(兵0←兵25)、包囲により落城させる。 ------------------------------------------------------------------------------ 1562年春 ・尾張で一向一揆が発生する。 ・野田城(三河)に吉良義安が登場、家臣に加えず。 ・那古野城(尾張)に木下秀吉が登場、家臣に加える。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が18集まる(現状で当家の規模で1231雇える)。  柿崎景家に兵18を割り振る(兵31)。 ・甲斐で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で1210雇える)。  板垣信憲に兵10を割り振る(兵20)。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が87千石(住民感情が10)上がる。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が34千石(住民感情が6)上がる。 ・美濃で治水開墾を行い、石高が40千石(住民感情が11)上がる。 ・太田資正、太田輝資らを白石城(北陸奥)から宇都宮城(下野)へ移動する。 ・板垣信憲を府中城(甲斐)から国府台城(下総)へ移動する。 ・黒田職高、別所長勝らを魚住城(播磨)から岩手山城(北陸奥)へ移動する。 ・佐竹家の大田原城(下野)へ攻め込み(兵0←兵47)、包囲により落城させる。 ・佐竹家の白河城(南陸奥)へ攻め込み(兵54←兵132)、敵が退去した城を包囲によ り落城させる。 ・毛利家の沼城(備前)へ攻め込み(兵22←兵97)、敵が退去した城を包囲により落城 させる。 ・尼子家の新庄山城(美作)へ攻め込み(兵43←兵39)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・長宗我部家の浦戸城(土佐)へ攻め込み(兵0←兵67)、強襲により落城させる。 ・伊達家の登米城(北陸奥)へ攻め込み(兵0←兵4)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、黒田職高、別所長勝、赤松正澄、赤松政直らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・佐竹家の烏山城(下野)へ攻め込み(兵50←兵60)、包囲により落城させる。  落城の折に、小山高朝が切腹する。 ・毛利家の高瀬城(出雲)へ攻め込み(兵73←兵40)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を強襲により落城させる。  野戦の際に、毛利家の宍戸隆家が討ち死に。 ・佐竹家の下館城(常陸)へ攻め込み(兵61←兵130)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・上杉家の穴水城(能登)へ攻め込み(兵0←兵29)、包囲(x2)により落城させる。 ・佐竹家の佐倉城(下総)へ攻め込み(兵0←兵40)、強襲により落城させる。 ・独立勢力の高峠城(伊予)へ攻め込み(兵6←兵29)、包囲(x3)により落城させる。  落城の折に、河野通存が切腹する。 ・佐竹家の小弓城(下総)へ攻め込み(兵0←兵20)、強襲により落城させる。 ・河野家に高峠城(伊予)を攻められる(兵20→兵29)も野戦にて迎撃する。 1562年夏 ・紀伊で一向一揆が発生する。 ・松山城(武蔵)に太田氏資が登場、家臣に加えず。 ・三崎城(相模)に大道寺政繁が登場、家臣に加える。 ・大坂城(摂津)に三好政勝が登場、家臣に加えず。 ・渭山城(阿波)に原田秀兼が登場、家臣に加えず。 ・南陸奥で兵の募集を行い、応募兵が13集まる(現状で当家の規模で1407雇える)。  穴山信友に兵3を割り振る(兵40)。  相木綱成に兵5を割り振る(兵50)。  高坂昌信に兵5を割り振る(兵50)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が42集まる(現状で当家の規模で1392雇える)。  柿崎景家に兵19を割り振る(兵50)。  宇佐美景綱に兵23を割り振る(兵48)。 ・長野業正、不破光治らを小高城(南陸奥)から高峠城(伊予)へ移動する。 ・柿崎景家、宇佐美景綱らを江戸城(武蔵)から高瀬城(出雲)へ移動する。 ・稲葉良通、清水康英、高坂昌信らを三春城(南陸奥)から高瀬城(出雲)へ移動する。 ・太田資正を大田原城(下野)から新庄山城(美作)へ移動する。 ・真田幸隆を穴水城(能登)から大河内城(伊勢)へ移動する。 ・下総で治水開墾を行い、石高が59千石(住民感情が9)上がる。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が79千石(住民感情が?)上がる。  住民感情が92→100になった。 ・河野家の湯築城(伊予)へ攻め込み(兵22←兵79)、包囲により落城させる。  落城の折に、河野通直、河野通政、河野通宣らが切腹する。 ・尼子家の松山城(備中)へ攻め込み(兵48←兵86)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・佐竹家の大田城(常陸)へ攻め込み(兵62←兵140)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。  落城の折に、金上遠江守、大関高増らが敗走に失敗する。 ・毛利家の岡山城(備前)へ攻め込み(兵22←兵97)、包囲により落城させる。  落城の折に、明石景親、明石景季らが切腹。小早川隆景が降伏する。 ・長宗我部家の中村城(土佐)へ攻め込み(兵0←兵67)、包囲により落城させる。 ・毛利家の三刀屋城(出雲)へ攻め込み(兵0←兵98)、包囲により落城させる。 ・毛利家の温湯城(石見)へ攻め込み(兵0←兵34)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・毛利家の津和野城(石見)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・佐竹家の水戸城(常陸)へ攻め込み(兵65←兵81)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。  落城の折に、二階堂盛義、田村隆顕らが降伏。結城政勝、武田信政らが切腹する。 ・毛利家の高山城(安芸)へ攻め込み(兵33←兵45)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・佐竹家の小田城(常陸)へ攻め込み(兵47←兵49)、野戦に勝利した後、包囲により 落城させる。  落城の折に、佐竹義昭、佐竹義里、小田氏治、正木時茂、秋元義久、相馬盛胤らが切 腹する。 ・佐竹家の椎津城(上総)へ攻め込み(兵0←兵20)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ############################################################################### ●2008-08-29 (10日目・12年目) ############################################################################### 1562年秋 ・東北、近畿、山陰、山陽、四国地方が豊作になる。 ・常陸で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で1627雇える)。  山県昌景に兵1を割り振る(兵50)。  山本勘助に兵4を割り振る(兵40)。  柴田勝家に兵5を割り振る(兵50)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が31集まる(現状で当家の規模で1615雇える)。  長尾政景に兵31を割り振る(兵32)。 ・伊勢で兵の募集を行い、応募兵が9集まる(現状で当家の規模で1578雇える)。  真田幸隆に兵7を割り振る(兵36)。  屋代政国に兵2を割り振る(兵25)。 ・伊勢で治水開墾を行い、石高が64千石(住民感情が15)上がる。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が54千石(住民感情100)上がる。 ・常陸で治水開墾を行い、石高が64千石(住民感情が7)上がる。 ・二階堂盛義、田村隆顕らを水戸城(常陸)から椎津城(上総)へ移動する。 ・内藤昌豊、山県昌景らを小田城(常陸)から高山城(安芸)へ移動する。 ・佐竹家の大多喜城(上総)へ攻め込み(兵0←兵2)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、二階堂盛義、田村隆顕らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・毛利家の岩国城(周防)へ攻め込み(兵0←兵50)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・尼子家の成羽城(備中)へ攻め込み(兵40←兵86)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・独立勢力の大洲城(伊予)へ攻め込み(兵20←兵96)、強襲により落城させる。  落城の折に、宇都宮豊綱が切腹する。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・毛利家の赤穴城(出雲)へ攻め込み(兵0←兵50)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・毛利家の三沢城(出雲)へ攻め込み(兵0←兵50)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・毛利家の郡山城(安芸)へ攻め込み(兵13←兵31)、敵が退去した城を強襲により落 城させる。 ・毛利家の深川城(長門)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・尼子家の神辺城(備後)へ攻め込み(兵43←兵45)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。  野戦の際に、尼子家の米原綱寛が討ち死に。 ・毛利家の銀山城(安芸)へ攻め込み(兵63←兵85)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を包囲により落城させる。 ・佐竹家の佐貫城(上総)へ攻め込み(兵0←兵19)、強襲により落城させる。 ・尼子家の高松城(備中)へ攻め込み(兵25←兵47)、強襲により落城させる。  落城の折に、尼子誠久、香川元景、石川久智、清水宗治らが切腹。本城常光、赤穴久 清らが降伏する。  攻城戦の際に、強襲により兵4の損害を出す。 1562年冬 ・東北、北陸地方に大雪が降る。 ・朝廷から勅使が訪れ、右大将の官位を賜る。 ・大道寺盛昌が病のため死亡。 *尼子家が毛利家との同盟を破棄する。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が21集まる(現状で当家の規模で1810雇える)。  長尾政景に兵3を割り振る(兵35)。  北条高広に兵18を割り振る(兵19)。 ・下総で兵の募集を行い、応募兵が11集まる(現状で当家の規模で1784雇える)。  小山田信有に兵11を割り振る(兵41)。 ・毛利家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・常陸で治水開墾を行い、石高が62千石(住民感情が17)上がる。 ・尾張で治水開墾を行い、石高が46千石(住民感情が17)上がる。 ・伊勢で治水開墾を行い、石高が78千石(住民感情が18)上がる。 ・飯富虎昌、穴山信友、相木綱成らを大田城(常陸)から大洲城(伊予)へ移動する。 ・諏訪頼忠、二木重吉らを高松城(備中)から深川城(長門)へ移動する。 ・本城常光、赤穴久清らを高松城(備中)から椎津城(上総)へ移動する。 ・毛利家に岩国城(周防)を攻められる(兵32→兵49)も野戦にて迎撃する。 ・毛利家の甲山城(備後)へ攻め込み(兵0←兵133)、包囲により落城させる。 ・大友家の臼杵城(豊後)へ攻め込み(兵72←兵233)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・毛利家の高杉城(備後)へ攻め込み(兵0←兵125)、包囲により落城させる。 ・佐竹家の大多喜城(上総)へ攻め込み(兵0←兵2)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、本城常光、赤穴久清らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・毛利家の勝山城(長門)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・毛利家の桜尾城(安芸)へ攻め込み(兵33←兵90)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、毛利元就、吉川元長、小原隆言らが切腹。吉川元春、福田光信、花房正 幸らが降伏する。 ・佐竹家の久留里城(上総)へ攻め込み(兵0←兵19)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・毛利家の山口城(周防)へ攻め込み(兵0←兵43)、強襲により落城させる。 ------------------------------------------------------------------------------ 1563年春 ・東北地方に大雪が降る。 *毛利家は、福原貞俊が継ぐ。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が20集まる(現状で当家の規模で1932雇える)。  長尾政景に兵4を割り振る(兵39)。  北条高広に兵16を割り振る(兵35)。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  滝川一益に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・大田資正、村上義清、宇佐美景綱らを甲山城(備後)から勝山城(長門)へ移動する ・大道寺政繁を三崎城(相模)から江戸城(武蔵)へ移動する。 ・福田光信、花房正幸らを桜尾城(安芸)から久留里城(上総)へ移動する。 ・織田信友、織田信広、佐久間信盛らを高天神城(遠江)から久留里城(上総)へ移動 する。 ・平手氏貞、酒井忠次らを那古野城(尾張)から椎津城(上総)へ移動する。 ・伊勢で楽市楽座を行い、町の規模が4.2(住民感情が3)上がる。 ・安芸で楽市楽座を行い、町の規模が5.3(住民感情が3)上がる。 ・大友家の門司城(豊前)へ攻め込み(兵20←兵47)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・佐竹家の大多喜城(上総)へ攻め込み(兵0←兵5)、強襲して全滅する(城郭5→4)。  攻城戦の際に、織田信友、平手氏貞、福田光信、花房正幸、織田信広らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・大友家の佐伯城(豊後)へ攻め込み(兵73←兵47)、敵が退去した城を包囲により落 城させる。 ・島津家の府内城(豊後)へ攻め込み(兵24←兵143)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・佐竹家の稲村城(上総)へ攻め込み(兵0←兵18)、強襲により落城させる。 ・福原家の防府城(周防)へ攻め込み(兵19←兵43)、包囲により落城させる。  落城の折に、福原貞俊、吉川経安らが切腹する。 ############################################################################### ●2008-08-30 (11日目・13年目) ############################################################################### 1563年夏 ・四国地方に台風の被害が出る。 ・三河で一向一揆が発生する。 ・朝廷から勅使が訪れ、左大将の官位を賜る。 ・岩手山城(北陸奥)に遠藤基信が登場、家臣に加えず。 ・津久井城(相模)に遠山政景が登場、家臣に加えず。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  内藤昌豊に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・村上義清、宇佐美景綱、滝川一益らを勝山城(長門)から門司城(豊前)へ移動する。 ・吉川元春、内藤昌豊、山県昌景らを桜尾城(安芸)から防府城(周防)へ移動する。 ・美濃で治水開墾を行い、石高が59千石(住民感情が14)上がる。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が63千石(住民感情100)上がる。 ・伊勢で治水開墾を行い、石高が51千石(住民感情が5)上がる。 ・大友家が使者を送って来るが、同盟を結ばず。 ・大友家の城井谷城(豊前)へ攻め込み(兵38←兵86)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・大友家の県城(日向)へ攻め込み(兵73←兵90)、敵が退去した城を包囲により落城 させる。 ・島津家の岡城(豊後)へ攻め込み(兵25←兵36)、野戦に勝利した後、敵が退去した 城を強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・島津家の城(豊後)へ攻め込み(兵104←兵104)、野戦に勝利した後、敵が退去した 城を包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、猿渡信光、赤星親家、犬童頼安、上村頼孝らが切腹。島津歳久、新納忠 元らが降伏する。 ・大友家の香春岳城(豊前)へ攻め込み(兵38←兵47)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・大友家の宗像城(筑前)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・大友家の中津城(豊前)へ攻め込み(兵90←兵47)、包囲により落城させる。  落城の折に、立花道雪、有馬義貞らが降伏。木付鎮秀、原田隆種、一万田鑑実らが切 腹する。 ・佐竹家の沖津城(上総)へ攻め込み(兵0←兵18)強襲により落城させる。 1563年秋 ・東海、北陸、近畿、山陰、四国、九州地方が豊作になる。 ・横手城(出羽)に楯岡満茂が登場、家臣に加えず。 ・松井田城(上野)に長尾顕長が登場、家臣に加えず。 ・刈谷城(三河)に大久保忠佐が登場、家臣に加えず。 ・鳴海城(尾張)に前田利家が登場、家臣に加えず。 ・岩倉城(尾張)に佐々成政が登場、家臣に加えず。 ・岩殿城(甲斐)に小山田信茂が登場、家臣に加えず。 ・与坂城(越後)に吉江資堅が登場、家臣に加えず。 ・田辺城(丹後)に沼田勘解由が登場、家臣に加えず。 ・安芸城(土佐)に桑名親勝が登場、家臣に加えず。  今は、空き武将枠が一人しかない・・・。 ・柴田勝家、山本勘助らを水戸城(常陸)から府内城(豊後)へ移動する。 ・柿崎景家、清水康英、不破光治らを高杉城(備後)から府内城(豊後)へ移動する。 ・稲葉良通、高坂昌信らを高瀬城(出雲)から宗像城(筑前)へ移動する。 ・立花道雪を中津城(豊前)から江戸城(武蔵)へ移動する。 ・諏訪頼忠を中津城(豊前)から高田城(豊後)へ移動する。 ・小山田信有を古河城(下総)から岩手山城(北陸奥)へ移動する。 ・大田輝資、須田満親らを烏山城(下野)から岡城(豊後)へ移動する。 ・相模で楽市楽座を行い、町の規模が5.9(住民感情が4)上がる。 ・尾張で楽市楽座を行い、町の規模が9.4(住民感情100)上がる。 ・伊勢で楽市楽座を行い、町の規模が5.0(住民感情100)上がる。 ・美濃で楽市楽座を行い、町の規模が9.2(住民感情が3)上がる。 ・大友家に高田城(豊後)を攻められる(兵95→兵124)も野戦にて迎撃する。  野戦の際に、志賀鑑隆、赤星統家、田北宗時らが討ち死に。 ・大友家の立花城(筑前)へ攻め込み(兵52←兵135)、包囲により落城させる。 ・大友家の都於郡城(日向)へ攻め込み(兵74←兵90)、包囲により落城させる。 ・伊達家の登米城(北陸奥)へ攻め込み(兵0←兵41)、強襲により落城させる。 ・島津家の岩尾城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵96)、包囲により落城させる。 ・大友家の飯塚城(豊後)へ攻め込み(兵8←兵184)、包囲により落城させる。  落城の折に、佐伯盛信(武田盛信の生まれ変わり)が降伏。北郷時久が切腹する。 ・大友家の秋月城(筑前)へ攻め込み(兵0←兵47)、包囲により落城させる。 ・大友家の久留米城(筑後)へ攻め込み(兵0←兵31)、強襲(x2)により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵9の損害を出す。 1563年冬 ・美作で疫病が発生し、播磨、備前に伝染する。 ・東北地方に大雪が降る。 ・加賀、摂津、越中に一向一揆が発生する。 ・安藤守就が病のため死亡した為、安藤信光(織田信光の生まれ変わり)が代わりに兵 を引き継ぐ。 ・豊後で兵の募集を行い、応募兵が10集まる(現状で当家の規模で2296雇える)。  柿崎景家に兵1を割り振る(兵50)。  秋山信友に兵9を割り振る(兵37)。 ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が36集まる(現状で当家の規模で2284雇える)。  長尾政景に兵1を割り振る(兵40)。  立花道雪に兵35を割り振る(兵36)。 ・柿崎景家、柴田勝家、不破光治、山本勘助らを飯塚城(豊後)から久留米城(筑後) へ移動する。 ・諏訪頼忠を高田城(豊後)から都於郡城(日向)へ移動する。 ・馬場信春、小早川隆景らを岡山城(備前)から府中城(越前)へ移動する。 ・安藤信光を曽根城(美濃)から椎津城(上総)へ移動する。 ・豊後で楽市楽座を行い、町の規模が12.2(住民感情が4)上がる。 ・豊後で治水開墾を行い、石高が53千石(住民感情が15)上がる。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が59千石(住民感情100)上がる。 *大友家と島津家が同盟を結ぶ。 ・大友家の岩屋城(筑前)へ攻め込み(兵80←兵192)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・大友家の飫肥城(日向)へ攻め込み(兵74←兵90)、包囲(x2)により落城させる。  落城の折に、大友宗麟、吉弘重氏、田原親宏、阿蘇惟賢らが切腹する。 ・島津家の隈本城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵36)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 ・島津家の隈府城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵35)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵3の損害を出す。 ・大友家の柳川城(筑後)へ攻め込み(兵0←兵22)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・大友家の高祖城(筑前)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・島津家の五箇山城(筑後)へ攻め込み(兵40←兵50)、野戦に勝利した後、敵が退去 した城を包囲により落城させる。 ・大友家の高勢福寺城(肥前)へ攻め込み(兵80←兵85)、野戦に勝利した後、敵が退 去した城を包囲により落城させる。 ・島津家の人吉城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵15)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・島津家の堅志田城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵25)、包囲により落城させる。 ------------------------------------------------------------------------------ 1564年春 ・周防に山火事が発生する。 ・東北、北陸地方に大雪が降る。 ・朝廷から勅使が訪れ、参議の官位を賜る。 *大友家は、臼杵鑑続が継ぐ。  大友家が島津家との同盟を破棄する。 ☆朝廷から特使が訪れ、征夷大将軍に任ぜられる。  (1843万石、威信14、総武将48、総兵1253、CP11、残高20868)  ”全国統一の野望を達成するために、さらに続けますか?”→ [是] ・武蔵で兵の募集を行い、応募兵が29集まる(現状で当家の規模で1147雇える)。  立花道雪に兵14を割り振る(兵50)。  北条高広に兵15を割り振る(兵50)。 ・内藤昌豊、山県昌景、二木重吉、有馬義貞らを中津城(豊前)から隈本城(肥後)へ 移動する。 ・村上義清、太田資正らを城井谷城(豊前)から隈府城(肥後)へ移動する。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が34千石(住民感情100)上がる。 ・越前で治水開墾を行い、石高が60千石(住民感情が9)上がる。 ・越前で楽市楽座を行い、町の規模が13.5(住民感情が3)上がる。 ・尾張で楽市楽座を行い、町の規模が6.4(住民感情100)上がる。 ・伊勢で楽市楽座を行い、町の規模が12.7(住民感情100)上がる。 ・相模で楽市楽座を行い、町の規模が5.0(住民感情が5)上がる。 ・島津家の長野城(肥後)へ攻め込み(兵45←兵168)、包囲により落城させる。  落城の折に、島津義弘が切腹する。 ・島津家の加治木城(大隅)へ攻め込み(兵0←兵50)、強襲により落城させる。 ・島津家の高山城(大隅)へ攻め込み(兵0←兵40)、包囲により落城させる。 ・臼杵家の佐賀城(肥前)へ攻め込み(兵38←兵106)、敵が退去した城を包囲により 落城させる。 ・臼杵家の平戸城(肥前)へ攻め込み(兵38←兵40)、野戦に勝利した後、敵が退去し た城を強襲により落城させる。 ・島津家の八代城(肥後)へ攻め込み(兵0←兵39)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵2の損害を出す。 1564年夏 ・筑前に南蛮船が来航する。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  山本勘助に鉄3を割り振る(鉄4)。 ・肥後で治水開墾を行い、石高が59千石(住民感情が12)上がる。 ・越前で治水開墾を行い、石高が64千石(住民感情が11)上がる。 ・武蔵で治水開墾を行い、石高が63千石(住民感情100)上がる。 ・上野で治水開墾を行い、石高が13千石(住民感情が3)上がる。 ・島津家の大口城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵50)、包囲により落城させる。 ・臼杵家の島原城(肥前)へ攻め込み(兵0←兵21)、強襲により落城させる。 ・臼杵家の大村城(肥後)へ攻め込み(兵19←兵125)、包囲により落城させる。  落城の折に、百武賢兼、阿蘇惟将、臼杵鑑続、赤司資清、宇礼志野通治らが切腹する。 ・島津家の出水城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵13)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 1564年秋 ・東北、関東、東海、甲信、北陸、近畿、山陰地方が豊作になる。 ・遠江に山火事が発生する。 ・摂津に一向一揆が発生する。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  不破光治に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・越前で治水開墾を行い、石高が36千石(住民感情100)上がる。 ・肥前で治水開墾を行い、石高が42千石(住民感情が9)上がる。 ・肥後で治水開墾を行い、石高が40千石(住民感情が12)上がる。 ・尾張で楽市楽座を行い、町の規模が8.4(住民感情100)上がる。 ・上野で楽市楽座を行い、町の規模が1.7(住民感情が5)上がる。 ・佐竹家の大多喜城(上総)へ攻め込み(兵0←兵2)、強襲して全滅する。  攻城戦の際に、安藤信光、酒井忠次らが討ち死に。  不要武将の削減──。 ・島津家の伊集院城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵12)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 1564年冬 ・東北地方に大雪が降る。 ・能登に一向一揆が発生する。 ・岩倉城(尾張)に木下秀長が登場、家臣に加える。 ・鳥羽城(伊勢)に奥山常陸介が登場、家臣に加えず。 ・魚津城(越中)に石黒左近が登場、家臣に加えず。 ・渭山城(阿波)に船越景直が登場、家臣に加えず。 ・臼杵城(豊後)に臼杵鑑速が登場、家臣に加える。 ・保科正俊が病のため死亡した為、保科房家(沼本房家の生まれ変わり)が代わりに兵 を引き継ぐ。 ・鉄砲の入手(3)を行う。  真田幸隆に鉄3を割り振る(鉄3)。 ・清水康英を島原城(肥前)から伊集院城(薩摩)へ移動する。 ・越前で楽市楽座を行い、町の規模が2.2(住民感情100)上がる。 ・越前で治水開墾を行い、石高が24千石(住民感情100)上がる。 ・肥前で治水開墾を行い、石高が64千石(住民感情が17)上がる。 ・太田資正、村上義清、太田輝資、柴田勝家らを永野城(肥後)から大河内城(伊勢) へ移動する。 ・保科房家を福島城(南信濃)から久留里城(上総)へ移動する。 ・島津家の鹿児島城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵21)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ・島津家の伊作城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵11)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 ------------------------------------------------------------------------------ 1565年春 ・東北地方に大雪が降る。 ・島津家の指宿城(薩摩)へ攻め込み(兵0←兵20)、包囲により落城させる。 ・佐竹家の大多喜城(上総)へ攻め込み(兵0←兵18)、強襲により落城させる。  攻城戦の際に、強襲により兵1の損害を出す。 1565年夏 ・美濃に大地震が発生する。 ・備後で鉱山が発見される。 ☆最後の一国を支配  『1565年 夏 村上義清は全国統一しました。』  (2063万石、威信13、総武将48、総兵1282、CP11、残高40595) ------------------------------------------------------------------------------ ■2.あとがき ============  久々に「乱世の覇者」(初代の移植版)をプレイし、そしてクリア──。今年の4月 中旬頃から、天下統一W、X、ADVANCE、そして乱世の覇者と立て続けにプレイして” 天下統一までの歩み”を記してみました。  乱世の覇者は、発売から17年(PC版初代は21年)も経過してレトロゲーになった今で も一番楽しく遊べました。また、MD版はコントローラー操作なのですが、操作性を良く する工夫がなされていることにも改めて関心させられました。 ------------------------------------------------------------------------------- URI: http://purl.org/net/osamurai/ ------------------------------------------------------------------------------- Copyright (C) 2000-2008 by Osamu Rai. 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